日々のこと

身の周りのものについて② 万年筆(その1)

2020/08/19

また自分の持ち物について書いてみようと思う。今日は万年筆だ。私が使っているのはLAMYの黄色の万年筆。インクはどこかで買った濃紺(カッコよくいえばブルーブラック)を使っている。

(だけど万年筆をきっかけに、文房具全般について思っていることの記事になった。万年筆自体については次の記事で書くと思う。)

大学生になった時から万年筆を使うようになった。それまでは、どこかに憧れがあって、大人が持つ物だと思っていた。最初に買ったのはPelikano junior。これはドイツの小学生向けに開発されたという比較的安価(1500円くらい)な万年筆だったはず。初めてみた時に、「ドイツでは小学生から万年筆を使っているのか!」と驚いた記憶がある。

実は文房具には小学生の時からすごくこだわりがあった。小学生の時にはシャープペンシルが禁止され、鉛筆しか持ってはいけないことになっていた。だからシャープペンシルへの憧れがすごく強かった。他にも文房具関係で怒られた記憶が多い。

赤色の色鉛筆の代わりに、金色の色鉛筆を使っただけでめちゃめちゃ怒られた。先生の言い分は「私が赤色にしなさいと言ったら、絶対に赤色にしなさい」みたいなことだった。美術の時間でみんなが同じ絵具セットを買ったのを覚えているだろうか。そのセットに入っていない絵具を自分の家から持っていった時も怒られた。みんなと色を合わせなさい、と。

だから学校ではいろんな文房具が禁止されていた、というかみんなが同じことをひどく求められた。思い出してみると、なかなか理不尽だったというか、非常に強く同調圧力と規格化の求められるのが小学校だなと思う。

小学校の後半か中学生の頭くらいにシャープペンシルを初めて買ってもらった。とても嬉しかった。憧れの文房具だった。

中学生にもなると文房具にあれこれ言われなくなって自由になったが、中学に進んでもシャープペンシルと鉛筆がメインだった。小学校の時から鉛筆を強制されていたし、やはりノートをとる時には消せないといけないと思っていた。だからボールペンをメインで使うなんて考えたことなかったし、使っても赤や青のボールペンだった。

文房具は自由でありつつも、消しゴムで書き直せる鉛筆やシャーペンがメインだった。学校の中間テストも、センター試験も鉛筆でマークシートを塗りつぶす。やはりテストで消して書き直せないのはリスクになる。書き直せないボールペンや万年筆がメインになったのは大学に入ってからだ。「書き直さない」ノートの取り方をするようになった。

「書き直せる」から「書き直せない」への変化が実はとても大きいと思っている。「書き直せる」ことで、ちゃんと全部がきれいじゃなきゃいけないとか、間違ってはいけないとか、直せるからこそのコダワリが出てくる。それがコワバリになる。逆にボールペンや万年筆は消せないので、間違いをそのままにして書き続けるしかない。そうすると1ページのノートの中に間違いが残るので、どこで間違えたかわかるし、何より書き直さないから書きあがりが早い。消すために消しゴムに持ち替えて云々という手間もない分だけ早い。

この直さないでとにかく進めるスタイルと、書き直して丁寧に書くスタイルは西洋人と日本人の特徴の一端を垣間見える気がする。例えば、間違ってもいいというメンタリティにも繋がるのかな。日本人は間違えると非難されるけれど、間違えてもそこから学べばいいみたいなスタイルの人は多くはないと言われている。経過にこだわるか、結果にこだわるか。資料のパワーポイントのデザインにこだわるか、内容にこだわるかとか。二者択一ではないけれど、とにかく「書き直せる」鉛筆やシャーペンが子供の頃から基本の私たちと、「書き直せない」ボールペンや万年筆で育った子供には違いがある気がするのだ。

もう一つ思いつくのが、日本人は文房具にすごくこだわりを持っていることだ。

例えば受験時代には「東大生のノートはなぜ美しいのか」みたいな名前の本が売れていたし(読んだ)、ノート術、手帳術みたいな本は今でもたくさんある(読んだ)。ノートをいかに綺麗にとるか、綺麗に見せるためにどのような文房具を使うか。こだわりがすごい。

私は1年間リトアニアというヨーロッパの国にいたけれど、文房具はかなり違った。VICというすごくシンプルで安価なボールペンばかり売っていた記憶がある。しかも黒、青、赤の三色しかないことが多い。日本のシャーペンは五倍くらいの値段がした。だからヨーロッパに住む友達が日本に来ると、めちゃめちゃ大量にボールペンを買っていく。日本製は質が高いのだそうだ。だから日本からのお土産でカラフルなボールペンとか求められることがある。

リトアニアの大学生は全然ノートを取らない。かなりじっと聞いている。そして途中途中でさっとメモをしている。僕は授業の全てをノートにとって見返すスタイルだったので、必死に授業中にノートをとっていたがそんな人は他に誰もいなかった。授業の受け方の違いを感じた。日本ではノートを綺麗にしっかりとっているのがいいとされるけど、そんなことはないのかもしれない。

自分の万年筆の話に入る前に文房具全般の思い出を色々と書いてしまったので、万年筆の話は次の機会に。