日々のこと

身の周りのものについて① 文机

2020/08/18

今日は文机について書こうと思う。

文机を使っている人なんてもうそうそういないかもしれない。床に座るという生活がどれほど残っているのだろうか。基本的にテーブルを使い、椅子に座る。オフィスといえば大体その形だ。

椅子に座るというのはいつから始まったのだろう。そもそも椅子とはなんだ。原始人の時代を考えてみると岩や倒れた木が椅子だった。多分、丸太も椅子になりそう(江戸川乱歩に従えば人間も椅子になる)。

椅子の語源はなんだろう。「椅子」の「椅」の意味を実は知らない。調べてみよう。

白川静さんの「字統」では「椅」の声符が「奇(き)」であるとされているので「奇」を調べる。「奇」は「人に附託する意」とされている。

「椅子は腰かけで、後ろに倚(もたれ)のあるものをいう。」ということ。だから、背もたれがないと椅子じゃないみたい。

「椅子を用いるのは五代以後のことといわれ、宋の高宗は徽宗の服喪中に白木の椅子を用いた。」と書かれている。五代は907年〜960年のことであり、中国で「椅子」が用いられ始めたのはここ1000年くらいということになる。割と最近。

もう少し調べてみると現在私たちが座っているような背の高い椅子は、明治維新ごろに入ってきたらしい。その前は座椅子というのか、床に座るのが主流だったそうだ。明治維新は19世紀後半の出来事なので、椅子が我々の生活に入り込んできたのは、それこそ150年くらい前のことらしい。

椅子に座るのと、床に座布団を敷いて座るのでは身体感覚も異なると思う。それにしても椅子が私たちの生活に入り込んだのが割と最近なのには驚いた。千夜千冊の『デザイン知』の中で、椅子によって座り方をデザインするというような言葉があったけど、床に座る日本人が椅子に座ったことの変化は結構大きい気がする。日本人に猫背が多いのもまだ椅子に慣れてないからかもしれない。オフィスも椅子が中心だけど、和室のオフィスなんてあってもいい。とはいえコロナの時代にどれほどオフィスが必要かはわからないけれど。

私が座布団と文机というスタイルに落ち着いているのは、もしかしたら日本人の名残みたいなものかもしれない。

文机についての話をしていたんだ。文机に話を戻そう。

「机」という漢字もよく考えたら面白い。左側は「木」だとしても、右側はなんだ。「凡」の「、」がないバージョン?

調べてみたところ、どうやら「几」、この漢字だけで「つくえ」と読むらしい。白川静さんの字統では、「両端に足のある台」と説明されていた。形のそのままだ。「坐几」と書く時には「ひじおき」、文書を扱う机を「几案」というそうだ。私はライターの仕事でパソコンをこの机の上で使っているので、この文机も「几案」だ。

文机は正座に向いている。というかあぐらだと高さが絶妙に合わない(これは身長にもよる)。文机は正座の方がちょうどいい。そしてその正座が長くは続かない。みなさんご存知のように、正座をすると足が痺れる。足が痺れるので正座は30分と持たない。足が痺れるのは嫌なものだけど、実はこれがちょうどいい。強制的に休む時間をくれる。椅子で仕事をしていると何時間でもそのままだけれど、足が痺れたら休まずにはいられない。

そして最高なのがすぐに横になれるということだ。文机は背が低いので、床に座布団を敷き、その上に正座している。だから足が痺れたらそのまま後ろに重心を預けて横になればいい。座布団を枕にしてもいい。仕事に疲れて、足も痺れた状態で「あ〜つかれた〜」といいながら後ろに倒れ込み、横になるのは最高だ(これは本当に最高)。

木の文机で文章を書いていると文豪の気持ちになる。文豪といえば文机のイメージ(偏見)。太宰治の人間失格の映画を見た時も、確か彼は文机だった。文机は一般的な家庭にあったのだろうか。

文机はなんと言っても、この背の低さと小ささが可愛らしい。立ち上がった時に目線よりかなり下にあることで子供を見るような気持ちになる。他の家具はみんな背が高い中で、一人だけ背が低くて良い。

角が丸いところ、足が少し外にはねているところ、引き出しの金具の形、少しひんやりとしてそれでも生命力のある木、歪んでいて引き出しが出しづらいところ、というか完全に閉まらないところとか、少し削れているところとか。父がお寺からいただいた机なので、それこそ歴史もあるだろう。その全てが魅力的にうつる。

問題はちょっとテーブルが小さいこと。私はパソコン周りの持ち物が多いので、収納に困っている。収納場所が入らなくなるくらいにものを減らしましょうということだ。本当はそれがいい。そんなに物はいらないはず。

そのうちに色々気になったので、木組の文机を金槌で叩いて直した。木組みだと自分で修理できるのがいい。もちろん素人なので最善とはいえないけれど、少し緩んだのを戻せるというのは強みだ。これでまた、しばらくの間この文机を使える。