Column

【ダンサロンvol.6】 ダンサロン・イン・プログレス【感想】:間(はざま)の多層

こんにちは。しんいちです。

本日はダンサロンというイベントに参加してきました。

こちらは私が普段お世話になっている江本伸悟さんに紹介していただいて参加しました。

3月30日の14:30・18:00の二部に分かれていて、私は後者の方を観ました。

このイベントで特徴的なのは、3組のダンサー集団が演目を披露します。

しかしワークインプログレス、つまり完成作品ではありません。

今回は演者のプレゼンテーションの形で、説明が入りながらの観劇となりました。

間(はざま)

もっとも印象に残っているのは、「水の線/せんの波」という作品です。

二人が目を見つめ合いながら、「あるく・はしる・とまる」という簡単な動作を繰り返します。彼らは円をかくように周る。

どうもその姿が、軌道が惑星のように見え、そこに宇宙が展開されているかのように感じました。

そして二人の「間(はざま)」がどうも心地よい。

決して触れることはないけれど、そこに確かなつながりを感じる。

ダンスは関係性なのだと、改めて感じました。

アフタートークで「リズム」の話が出ていて、そのときに思い出すのは三木成夫さんの語る「宇宙のリズム」と、佐治晴夫さんの「からだは星からできている」も連想されます。

軌道、宇宙、リズム、そしてこの身体。

そのつながりを、踊りを見ていて再確認しました。

幽霊、妖怪、なにかそこに見えないもの

他の二組はテーマに共通性があり、それがなにか見えないものや生や死をテーマとしていました。

見えないもの、そこにあるはずでないもの、あり得たはずなのに、あり得なかったものの残余。

ブルーハーツという僕の大好きなバンドですが、彼らの「ラインを超えて」の一節に以下のようにありあます。

生きられなかった時間や
生きられなかった場面や
生きられなかった場所とか
口に出せなかった言葉
あの時ああすればもっと今より幸福だったのか
あの時ああいえばもっと今より幸福だったのか

自分が経験した以上に世界は豊かで、多層的で遂げられなかった思いを厚みとして僕らの生活は成り立っています。

いま、ここに見えているものだけ、あたまで理解していることだけではないはずです。

そしてきっとそれはもう体が知っているでしょう。

20世紀科学全盛の終焉

アフタートークでゲストの江本さんは次のように述べました。

20世紀は科学全盛の時代で、人間は世界の全てを理解できると思っていた。

しかしいまやそれは崩れつつある。目視できないもの、感知できないものが今日の公演でテーマになっていたのは興味深い、と。

ちょうど今、読んでいた「数学する人生」岡潔、森田真生編(2019)新潮文庫の内容とリンクしました。

この本の中に岡潔の西洋自然科学に対する厳しい批判が述べられています。

西洋の学問、自然科学が「時間」と「空間」があると思っている。しかし、「時間」と「空間」とは何か全くわかっていない。それでも、「時間」と「空間」があるという前提で話を進めるのが自然科学です。

西洋の学問は全て時間と空間の枠の中にはまっていて、五感でわからないものは取り扱いません。時間と空間の枠の中にあって、五感でわかるものが「物質」ですが、西洋の学問は、物質的自然の中しか調べないのです。

「時間」と「空間」が前提にあり、そしてその中で五感の範疇で科学する。

それではやはり取りこぼしが多すぎます。

つい先日、東京大学が「第六感」について研究成果を発表し話題にもなっています。

https://www.sankei.com/life/news/190319/lif1903190018-n1.html

目に見えないもの、感知できない世界、もしかしたら感知しているけれど気づけない世界。

そういったものが改めて必要なことを、すでに身体が知っていることを、ダンサロンの場で感じました。

山縣良和さん主宰「ここのがっこう」のファッションショーより