日々のこと

なにもしないことの豊かさ

こんにちは。しんいちです。

先日WIREDで以下のような記事がありました。

タイトルは「「ぼーっとする」のが脳にとって大切な理由」です。

https://wired.jp/2014/08/22/brain-neutral/

これは最近私がスマホを持たずに散歩するようになったときに感じた豊かさと関係していると思います。

スマホを持たずに歩くこと

最近私は1時間以内の距離ならば歩くようにしています。

そのときにイヤホンをせずに、また歩きスマホもしないようにしています。

以前はあるきながらオーディオブック(本の朗読サービス)を活用したり、仕事のメールに返信したりしていました。

しかし、移動時間もフル活用しようとしても、結局心があくせくしてしまって、落ち着くことができませんでした。落ち着いていないと、ゆるやかな思考をすることができません。硬直化につながってしまいます。

特に感じたのがブログに何もかけなくなるということです。

歩きスマホをしていると、なにかを考えたり、思い起こしたり、外界から刺激を受けたりということが極端に少なくなります。

そして結局書くことがなくなってしまうのです。

なので、最近はスマホをカバンの奥にしまってしまい、イヤホンもつけないようにしています。外の世界に開いて、頭をぼ~っとさせる時間を作るためです。

何もしない豊かさ

最近のビジネス本の中にはいかに効率的に多くのことをこなすかという本で溢れています。数分単位で時間を切り詰め管理し、人生をコントロールする、みたいな本です。

昔は私もそれにならって、スキマ時間をオーディオブックや、歩きスマホしながらの読書で埋めていました。

それが有能なのだと思っていたからです。

確かに寸暇を惜しんで学ぶのは美徳かもしれませんし、そういうスタイルの人を尊敬します。しかし、僕の場合、どこかでエネルギー切れが起きてしまいます。

何かよはくがないと、何も入ってこれないのです。

神社の依代が白いのは、余白として、そこに何色でも何者でも入れるからです。

神様が入ってくるにも、知識が入ってくるにも、何にも余白を作るのが最初です。

ヨガでも呼吸はまず吐ききります。

寸暇を惜しんで働く

話は突然変わりますが、みなさんはなんのためにお金を稼いでいるのですか?

お金を稼いで、たくさん稼いだら自由になれる。

確かにそうです。

お金がほしいのは自由になるため、というのは納得できます。

お金を稼げば自由になれると思いますが、稼ぐためにあくせく働き続けていては本当に自由とは言えないきもしています。

なぜなら、なにもしないことをすればその場で自由であるからです。

そこに立ち返ると、何もしない時間ということは最高の自由であり、最高の贅沢であり、そしてすでに持っているものです。

なにもしないという時間を楽しんでください。

呼吸は絶えず更新されていて、体はきしみます。

思考は四方八方に飛び、悩みはつきません。

それでも、その状態を楽しめるようになっていきたいと思っています。