日々のこと

非効率的な効率主義:非効率の幸せ

こんにちは。しんいちです。

最近自分が幸せを感じる時はどんな時かなと考えました。

彼女と過ごす時間や、映画を見ているときもそうですが、日常の中で考えると、割と手間だと思われがちなことをやっている時に幸せを感じていることがわかりました。

コーヒータイム

例えば、コーヒーを入れる時間です。

コーヒー豆を自分でひいて、フィルターを使い、溢れないように少しずつドリップコーヒーを入れる時間は一日の中で最高のひとときです。

でも、効率とか便利さで考えるなら、スーパーに売っている粉末状の粉にお湯を注ぐだけのタイプのコーヒーのが早いですよね。

でもあえてそこで豆をひき、ハンドドリップで淹れる。

一見面倒くさいですし、便利な方法があるのにわざわざ手間をかけなくても、と思います。

だけれど、なぜあえてそれをやるのか。

一言で言うなら美味しさが抜群に違うからです。

豆を挽くとまず香りが違います。

そして香りだけでなく、味も格別です。

少し手間と時間を加えることで素晴らしい、チェーン店のコーヒー屋さんより美味しいものが飲めのですから、最高の贅沢です。

しかも何百円もするカフェのコーヒーと違い、数十円で飲むことができます。

他にも

アイロンをかける時間

お弁当を作る時間

なども幸せなひとときです。

不思議なことにスマホでドラマなどを見ながら片手間にやると全く幸せではありません。むしろ、さっさとこんなこと終わらせてドラマみたい、とか思ってしまいます。

しかし、料理にアイロンに集中しているときは幸せな時間です。

料理だって、別にコンビニで買えば良いものです。ちょっと良いものが食べたければ、もうお金を払って外食にしてしまえばいい。

でもそれをしないのはなぜか。

美味しい料理を自分の手で作り出し、そしてそれを食べた人が美味しいと笑顔でいってくれるのを見たときに、とても幸せだからだと思います。

効率化の時代に非効率を

世の中は効率化や生産性が重視され、本屋さんにもそのような本が並びます。

確かに効率的になるのは良いことかもしれません。

で、効率化されてできた時間を自分の手間のかかる幸せのために使うと良いと思うのです。さらに仕事を詰め込むのではなく。