日々のこと

生まれ育った環境で思想はみな異なっているという前提

こんにちは。しんいちです。

少し前に地方に旅行に行く機会がありました。

そこは畑が視界の殆どをしめていて、山に囲まれている景色です。

ところどころ一軒家がポツポツと並んでいて、小学校も木造だったりします。

生業は農業や林業で、高齢者の方が多い印象です。

一方で僕の住む東京はビルが所狭しと立ち並び、地平線など見れた試しがありません。学校も4階建てで、グラウンドの土地は限られていて、満員電車が苦しく地下鉄が張り巡らされた街。

人は生まれ育った場所によって、その思考法が全く異なるのではないか、と思うようになりました。

至極当然のことと思われるかもしれませんが。

例えば、

地平線までめいいっぱい緑の畑の世界に住んでいる人と、
地平線も見えずコンクリのビルに囲まれた世界に住んでいる人は、

環境がとても違います。

  • 地平線を見渡せるかどうか。
  • コンクリの灰色か緑の畑か。
  • 稲穂のそよぐ音が聞こえるか、街を行き交う車と広告の音に囲まれるか。
  • 夕日を毎日見ているかとか。
  • 虫の声で四季の変化を感じるかどうかとか。

日常感じることが全く異なっているのです。

柳宗悦たちが始めた「民藝」運動の中で、日常触れるものが自分を作り上げるというようなことが書いてあったと思います。

彼らは特に身の回りのものについて考えたでしょうが、それは周りの人も、住んでいる場所も同じです。

生まれ育った場所ごとに思想は完全に異なってきます。

環境だけでなく人の来歴を鑑みれば、全ての人が異なった思想を形成しており、それは70億以上ものパターンが存在するわけです。

そう考えれば、意見が100%一致するなんて言うこともあるわけがない、ということを前提に物事を考えなくてはいけない。そう思うようになりました。