Column

それでも私はいつかまた、旅をしたい

今までは「旅をしながら暮らす」が理想形だった。
持ち物を少なくして、身軽にどこの国でもいけるようにと考えていた。

しかしコロナウイルスが世界中に広がり、各国は国境を閉ざしている。
あれほど自由に行き来できた世界は、遠い過去のものになってしまった。

今後、コロナウイルスがどのような方向性に進んでいくのかは見当もつかない。収束するのか、共存していくのか、まだよくわからないのが現状だ。意外とあっさりと国境は再びオープンされるかもしれない。

少なくとも、ここ2,3ヶ月は海外にいけなくなった。

今まで自分が理想と思っていた「旅をしながら暮らす」は、今後どうなっていくのだろうか。

国境が閉ざされている世界

2年前。私はリトアニアにいた。

ヨーロッパの北に位置する、バルト三国の1つだ。1年間の留学中に、10カ国近くのヨーロッパの国々を周った。大陸でつながった国々。ポーランドではアウシュヴィッツ強制収容所でホロコーストの行われた現場に足を運んだ。フランスの夜のルーブル美術館、大英博物館のロゼッタストーン、ウクライナの建物の壁にある銃弾の跡。川を渡るだけで国をまたぐことが出来る世界。日本人からすると不思議なかんじ。

昨年末はタイとベトナムへ。「旅をしながら暮らす」の第一歩として、1つの都市で数週間ずつ過ごした。その土地に2週間位いると、観光地は全て見終わる。でも、行きつけのレストランやカフェができたり、その街に「暮らす」ことができるようになった。

今はそんな生活を考えることができない。
家と、家の周りのスーパーやコンビニが私の世界のすべてだ。

進み始めたリモートワークの波

家からでると感染する可能性がある。いままで会社じゃなくても出来ると言われていた仕事のリモートワークが少しづつ進んでいる。

顔を合わせての会議や、資料の手渡しとか、少しずつリアルな接触は減っていくかもしれない。コロナが収束したとしても、そのままリモートが進んでくれればいいと思う。

もちろん対面で話し合うのは大事だ。その場所にいるからこそ感じられる雰囲気や、居心地、音の波、表情の機微。オンラインでは伝わらない様々なことが伝わる。

でも学校まで言って書類を提出するとか、電子署名じゃなくてはんこじゃなくてはいけないとか、そういうちょっとしたことは変わっていくと、意外と効率よくなったりする。

集中できないと言うけれど、そのうち慣れる。家から働けるようになっていくだろう。

自分の生きやすい土地へ:5G以降を生きる

今回のコロナウイルスのことで明らかになったのは、都市がいかにウイルスに対して弱いかということだ。

でもそれより前にみんな気がついていたと思う。東京の満員電車の異常さや、渋谷のスクランブル交差点の人の多さに。ちょっとくたびれてしまった人もいると思う。東京にいることに。

東京は大手の会社のオフィスが集まり、面白い人も集まっていた。仕事の機会も東京のが多いと思っていた。今でもそういうところはあるけれど、東京まで行かなくても良いんじゃない?って思うようになった。

オンラインでこれだけ繋がれるから場所は関係なくなってきている。
だからこそ、自分が好きな場所を選べる機会なのかもしれない。

いままでは誰もが都市にいなくてはいけなかった。

でもインターネットがあれば、どこにいてもいい。そうなれば、山の中にいてもいいし、海辺に家を構えても良い。目の前はオフィスじゃなくて、山や川や、海。プールや温泉が近くにあってもいい。

人と直接会うことのよろこびと価値

コロナの影響で会いたい人に会えない日々が続いている。
普通にあいていた本屋や、好きなカフェが閉まっている。

家から出にくくなくなり、リモートワークが進んできて、家から出なくて良いようになると同時に、今回のことで人に直接会うことが大きなよろこびだと知るきっかけになった。

好きなカフェのお気に入りの席で珈琲をいただきながら、本を開くこと。
大切な人と隣同士で話せること。

なんてことない日常が大切なものだと改めて知った。

それでも私はいつかまた、旅をしたい

少しだけ世界を巡って、街の市場を歩き、世界遺産に触れ、人々と会話して、わかったことがある。

自分の知らない世界に行くというのは不安だけれど、それよりも新しい体験への好奇心のほうが強い。

コロナの影響でリモートワークが進んで、コロナが収束、もしくは共存の道が見えた時に、きっとどこの国でも働けるようになる世界は出来上がってくると願っている。

チェンマイの路地裏を抜けて、お気に入りのレストランに行く。
凍えるヴィリニュスの街の固まった雪を踏みしめる。

そんな日を心待ちにしている。