足をまとう

足をまとう(2)土を感じる

歩く。土の上を歩くことが日課になってきた。毎日夜に散歩している時に感じた土とコンクリートの足の感触の違い。正確には足裏の感覚の違い。土の上を歩くと、足の裏がよろこんでいるような、不思議な感覚がした。

そのことをTweetしたところ、お世話になっている松葉舎の江本さんから、下駄で歩くと良いよと言われた。より土の感触が分かるとか。

次の日早速、下駄で散歩してみた。下駄で歩いてみるとまず感じたのが、都会の道は下駄にあっていないという事実だった。階段を歩くのにもおぼつかないし、舗装された道は滑る。硬い床は足に響いて、それだけ体が疲れる。

歩くのにもコツがいる(もしかしたら歩き方が全くなっていないのかもしれない)。初日は足を地面から離すたびにかかとを引きずってしまい嫌だったので、仕方なく親指に力をいれて下駄を引きずらないようにあるいてみた。すると、親指の裏側が痛くなった。

*このことを辻屋本店さんで質問したら、下駄が大きいか、ゆるいかのどちらかだと言われた。確かに10年以上も前に浴衣とセットでいただいたものなので、サイズを合わせたりはしなかった。

話を戻そう。江本さんに教えていただいたので、土の上を下駄で歩いてみることにした。コンクリートの道では硬い床に木の下駄なので反動が大きく、足に硬質な振動が響いた。また街を歩いているとどうしても音が大きくなる。これも歩き方のせいかもしれないけれど、カランコロンと大きな音を響かせながら街を歩くのははばかられて、余計に足が痛くなった。

しかし、土の上に足をおいた時に、包まれるような感覚を覚えた。

硬い床ではなく、土に下駄をおろすとふわっと受け止めてくれる。そして、音もしない。土の上でこそ本領を発揮するというか、大地に感謝したくなるような瞬間だった。

それから毎日のように下駄で土の上を歩くようになった。当時は卒業論文のアイデアがまとまらずに困っていた時期だったが、不思議なことに舗装された道路を歩いているよりも、土の上を歩いてるほうがアイデアが浮かぶ。しかも結構浮かぶ。土の上にいることで、からだがストレスを感じずにのびのびとしているのかもしれない。

そしてこの時に偶然「土」ということが周りに集まってくるときだった。

まず森田真生さんと藤井一至さんのオンライン講演を聞いていた。

正式には<藤井一至×森田真生 「人間とは何だろうか」ー土とともに考えるー>というタイトル。藤井さんは「土」のスペシャリストで本も出版している。森田さんは松葉舎のご縁で何度もお話を伺ったことのある方だ。数年前に出版された『数学の贈り物』は感動しすぎて、周りの人にも贈ったくらい。その二人が「土」をテーマに2時間ほど話を繰り広げており、地中にいる微生物から、土地の成り立ちなどのお話を聞いた。

東京にいると感じにくい土の大切さ。それをおしえてくれたのがもうひとり、坂口恭平さんだ。坂口さんは最近農業を始めていて、土に触ることが精神にとっていい効果をもたらすと書いていた。その頃WIREDの記事にも同じような趣旨の記事があった。私の卒業論文も微生物がテーマだった。主に腸内細菌や病原菌をテーマにしていたが、土を食べることで土壌の微生物を体に取りこみ、腸内細菌のバランスを取るといったような内容もあったと記憶している。

とにかく「土」というのは、都会から最も離れたものの一つでありながら、あまりにも重要なものである。

雨の日に草の上を下駄で歩くと、葉っぱについた雨露が足にあたり少しだけ濡れる。靴を履いているとわからないが、足が雨を感じ、ひんやりとした雨上がりの空気を肌で感じる。よく考えたら僕らは足をずっと靴と靴下で覆ってきた。暑いときも、寒いときも。マスクをしていると息苦しいように、足も今まで息苦しかったのかもしれない。

この「土」を感じる身近な手段の一つとしての下駄がある。もちろん裸足でもいいかもしれないが、足が汚れたり、もしかしたら動物の排泄物が落ちているかもしれないし、いろいろと気になるので下駄くらいが丁度いい。

下駄で歩いているうちに、もう一つ気になったものがある。それが雪駄だ。

でもこのときはまだ雪駄を買うという気持ちではなく、家で履けるやつが良いなと思っていた。

(2020/07/18のメモを元に作成)

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