日々のこと

言葉を語るときにどのように語るのか

自分が言葉を発する時に、その意味を深く考えたことが最近あっただろうか?

ブログを毎日書いている中で、そこまで言葉を考えていないように思う。

今日感じたのは、自分が自分の言葉で語っているかどうかわからなくなった、という事だ。

誰かから聞いた言葉、どこかで呼んだ耳障りのいい言葉をそのまま、あたかも自分の言葉のように話しているのではないか。(この言葉は今日の話ででてきた通りの内容なので、自分の問題提起ではない)

この話を聞いた時に思い出したのは、東日本大震災の時のことだ。当時、震災の直後に多くのミュージシャンが被災地に向けて歌を作った。

それに対して、彼らの悲劇を軽々しく口にしていいのか?と疑問視する声があった。(これは大学の先生が言っていたので私の言葉ではない)

アウシュビッツをご存知だろうか?

第二次世界大戦中にナチス・ドイツがユダヤ人を集め、大量に虐殺した場所の名前だ。

そこで行われた悲惨な現場を、体験してもいない人が口にするのは野蛮なことだといったのがアドルノという人である。(つまりこれも私の言葉ではない)

自分の元に訪れた言葉を、本当にそうなのか、どうなのか考えて話さずに、無批判にそれとしてうけいれてしまうことで、思考する力を失っている。(たぶんこれもどこかで聞いた話だ)

では自分の考えていることってなんだろうか?(この疑問も今日の話ででてきたものなので僕の考えではないと思う)

これまでの人生で膨大な言葉や情報に触れた僕らは、それを使わずに思考することはできない。

ショーペンハウエルも読書によって、思考が硬直化するといっていました。(これもショーペンハウエルの言葉)

ここまで来るともう自分の言葉というものが分からなくなってきますね笑