Column

空き地:都市の限界と、余白

2020/12/14 18:22

東京都港区六本木にある蔦屋書店の向かいに、大きな空き地があった。

そしてその空き地の工事が今日前を通ったら始まっていた。


この場所が空き地になる前は、なんだかギラギラとしたお店が入っていた。

自分には縁のない場所だなと思いながら、毎度のことを前を歩いていた。

ある日、その場所を通ると空き地になっていた。

何とも清々しい気持ちだった

空き地になると、都市のど真ん中にポカンと空間ができたような気持ちになる。

その空いている感じというのが心地よかった。

東京という街は本当にぎっしりと詰め込まれている。

カフェに行けば、横との間はなく肩を寄せ合って座らなければならないし、満員電車は言わずもがなだ。

ビルは限られた途中の面積に対して上へと収容できる人の数を増やしていく。

そうなのだ、都市は隙間がないのだ。

だからこそ、突如できた空き地に居心地のよさを覚えたのかもしれない。

なんとかやっと水の上に上がって一呼吸をつけたような気持ちだ。

建物が一つ壊されると、今まで見えていなかったものが見えるようになる。

例えば両サイドにあった建物の壁とか、奥にあった建物の向こうに見える空とか。

今まで見えてなかったものは、突如として現れて、で、その裏側が見えるとだいたい思ったより汚れていたり、見られることを想定していないところが剥がされたような、そんな感じになっている。

余白があることでそこに何か新しいものが入ってくる。

空っぽの空洞の茎の中に神様が宿るように、白い紙の余白のところに大切なものが浮かび上がるように。

僕らはうつろや余白を大切にしてきた。

では、東京に余白はあるのだろうか、空洞はあるのだろうか。

いっぱいいっぱいの東京はもう限界を迎えている。

それは私が東京にいることに居心地の悪さを覚えるようになったことと関係しているかもしれない。

特に今回の新型コロナウイルスで、人と人とがあまりにも密集していることのデメリットがよくわかったのではないのだろうか。

そして、その間の余白をとらざるを得なくなったのではないだろうか。

リモートワークというものが普及し、人々が自分で働く場所を選べるような環境も整ってきた。

東京の息苦しさみたいなものを少しずつ解消されていくのだろう。

突然あらわれた都市の空き地に心惹かれたのは、そういうことかもしれない。