【ご報告】引っ越しをしました

こんにちは。しんいちです。

 

今日実家から出て、引っ越しをしました。

新しい家、新しい生活。

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今まで実家で暮らしてきたので、そこを離れるとうのはとても不思議な気がいたします。

 

毎日おやすみ、と言ったり。

いただきます、といって食卓を囲んだり。

 

そういうことに変化が起きたのです。

それはちょっぴり寂しくて、でも新しい芽吹きでした。

 

場所が変わる、というのは不思議なもので関わっていく人、環境。
何もかもが大きく変化します。

お参りにいく神社も、目が覚めたときの天井の模様も。
そこにあった引き出しも、ベランダの外の風景も。
机の上にあった食器の数も、いつもつかっていた椅子の数も。

全部ぜんぶ少しだけ変わります。

 

それは少しの痛みを伴います。
痛みを伴うことが大切なことです。

そこに感情が動くかの、どこで動くかのヒントがあります。
あなたにとってなにが大切だったのかがわかります。

その痛みに感謝しつつ、新しい生活に身を投じる。
またなんとよろこばしからずや。

といったところでしょうか。

 

不思議なことに最近自分の生活に現実味がありません。
5分前仮説といって世界は五分前にできあがったというものです。

世界が五分前にそっくりそのままの形で、すべての非実在の過去を住民が「覚えていた」状態で突然出現した、という仮説に論理的不可能性はまったくない。異なる時間に生じた出来事間には、いかなる論理的必然的な結びつきもない。それゆえ、いま起こりつつあることや未来に起こるであろうことが、世界は五分前に始まったという仮説を反駁することはまったくできない。したがって、過去の知識と呼ばれている出来事は過去とは論理的に独立である。そうした知識は、たとえ過去が存在しなかったとしても、理論的にはいまこうであるのと同じであるような現在の内容へと完全に分析可能なのである
— ラッセル “The Analysis of Mind” (1971) pp-159-160: 竹尾 『心の分析』 (1993)

他にも様々な人が現実は「仮想」であるといっています。

 

私も最近はそのように考えるようになりました。
また、すべてはそれゆえに、なるようになるとも思っています。

今年になって、自分の速度を少し緩め始めて感じ始めたことです。

 

今回の引っ越しもいいことでしょう。
なにか面白い意味があってのことなのです。

 

どう各々の世界が動いていくのか、楽しみにするその前に

今までの世界に多大なる感謝を。