今日は最近いけていなかった料理教室へ行きました。
2ヶ月くらい休んでしまったので久々の参加です。
包丁で切るのが下手になっていました。
何をするにも体が思うように動かない。
遠くなってしまった「身体」とちぐはぐな「心」
最近は仕事が忙しくて、何かと余裕がなくなっていたのだと思います。
インタビューをさせて頂けることが多いのですが、記事が書き終わらない。
それにメールや営業の対応などに追われる。
自分のやりたいことと、それに付属してくるやりたくないこと。
前者は苦もなくスイスイ行えるのだけど、後者はまったく進まない。
進まないことは溜まっていき、さらに進まない原因になっていく。
料理教室に行くときに気がついた。
アイロンをかけるのを忘れていた、と。
そして出てから気がついた。
靴を磨き忘れた、と。
仕事が中心になって、根っこにある生活が完全におろそかになっていたことに気がついた。
自分の身体感覚もわからないし、生活の細々としたこともできていない。
その細々としたことを大事にしていきたい、とずっと考えていたのに、だ。
自分が自分じゃなくなっているような感覚。
そんな折に料理教室に行った。
料理は心身のチューニングである
この料理のおかげで、最近忘れていたことに気がついたので、本当に外に世界を持つことの大切さを感じる。
包丁が、全くうまく扱えなくなっていた。
確かに、人に見せる料理、を家で作らなくなっていた。繊細な動きができなくなっていた。
しかし段々と、包丁が入る感覚を思い出していった。
料理にゆっくり向き合ったのは久々だった。
一緒にいる恋人にも心配をされていたけど、仕事を無理していた。
今は段々と変容していった私に、忠告してくれてたのだと思う。
生活:一番はじめに削られるもっとも削ってはいけないもの
料理、洗濯、なんでもいい。
生活を戻してくれる外圧が必要だ。
生活のことは人の目にはみえない。
だからこそ、ないがしろにしてしまいやすい最初の部分だ。
だから気づかないうちに、何かがおかしくなっていく。
だからこそ、料理を習ったり、生活に関係する何かを外から取り入れることが大事になってくる。
生活は意識しないと本当にすぐ変容してしまうと改めて感じた。
より良いバランスのために意識と訓練が必要になってくる。
楽器を演奏する前にチューニングが必要なように、私たちにもチューニングが必要だ。