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季譜 flower-notes 1「墾(は)る」より:春の生と死

こんにちは。しんいちです。本日は「季譜 flower-notes 1「墾(は)る」(piano 平本正宏 × flower 塚田有一)」に参加してきました。

http://onshitsu.com/2019/02/09-233126.php

代官山という土地に、ひっそりと存在する小さな音楽室。

プライベートな空間に、上質なピアノのメロディ。そこに立ち上る植物の光景がとても印象的でした。

花を愛でるということ季節は春。

生命が眠りから覚め、顔を出す時期です。同時に喜びの季節でもあります。

僕はリトアニアにいました。あの国の冬は気温ー30度まで行きます。

そんな気温だともうそとにでたくないし、太陽なんてしばらく見れません。

文明が発展していない昔だったら、死者すら出ていたであろう気候。そんな寒さの中にいると、春の暖かな日差し、ほおを撫でる春の香りに魂が震えるほどの喜びを感じます。

そうなのです。春は生命にとって喜びの季節です。

しかし生命が発るということは、生命が果つることでもあります。そういう意味できっとTSエリオットは、「春は残酷な季節である」といったのかもしれません。

みなさんは、花を見るときに心が震えますか?一輪の花がかすかに開いたのに、喜びを感じますか。

花咲う今朝、ベランダにあった椿の蕾が微かに開いていました。太陽の光をいっぱいにあびて、こちらを向いている花をしばらく見つめました。

そうすると花はなんというかこう、話しかけてきているのでは、という気がします。

そこにありありと生命を感じるのです。春といえば桜ですね。桜の季節になると、いつも散り際が美しいと感じます。

満開の桜よりも、死んでいく散り際が素敵です。

そう考えると、植物にとっての死とはいつなのでしょうか。気になりますよね。

木が朽ち果てたときですか。花びらが散るのは違うのでしょうか。どうも生死というのは曖昧なもので、循環するだけのものとも言えるかもしれません。

1つ前今日は東日本大震災の3・11の1日前でした。ピアノは染み渡るようなリズムを奏で、花はそれに共振するように揺れ、景色が立ち上がっていきます。

今そこに、春が発ちのぼって、そして生死が同時に生まれます。

でもこの時だけは、喜びに揺れていました。花は、植物は激しく震えていました。311の前に。