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季譜 flower-notes 2「滴る」(piano 平本正宏 × flower 塚田有一)

季譜 flower-notes 2「滴る」(piano 平本正宏 × flower 塚田有一)2019/6/16

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今日は代官山のヒルサイドテラスで行われた季譜の第二回に参加してきました。

年4回、四季に合わせて行われるこの会はピアニストの平本正宏さんとフラワーアーティストの塚田有一さんのイベントです。ピアノの演奏とライブの花活けが同時に行なわれます。

ピアノ単独のコンサートは多々あるかと思いますが、ライブで花を活ける場面とのコラボレーションはあまりないでしょう。

タイトルは「滴(したた)る」でした。

梅雨の季節。雨が植物の葉から滴り落ちる季節。暑さの湿気で汗がたらりと滴る季節。

今回のセッションで生けられた花のイメージは「山」だそうです。

緑におう山の様子がピアノの演奏とともに再現されました。

面白いことに都会の真ん中の一室に突如として顕(あらわ)れた山は、現実の山よりもなぜか山っぽいという印象を受けました。

本当の山ではないにもかかわらず、それがすごく山のようにみえる。

そう感じたのは終演後のことでした。

コンサートなどが行われるとさっと帰る人が多いのですがわ今回の季譜では、すべての人がこの「山」に近づいて、まじまじと見ていました。

植物に手を触れ、葉っぱの裏側までじっくりと見る人々を見て、これが本物じゃないからこそもつ「山」の力です。

都会の、音楽室の中に突如として発生した山。その山には多様な植物が立ち上がっていました。

都心の植物

都心に住んでいると植物にふれる機会はありません。周りの神社や小さな公園には生えています。

しかしそれは「自然」ではなく、誰かのものの自然なのです。

最近、どくだみという植物の花が虫さされに効くと聞いて探していました。でも、どれも人の庭とか神社、公園の植物で採取できる場所がありませんでした。

すべて誰かのものなのです。それは僕の思うだれのものでもない、中間地点のような、メディアのような「自然」ではないのです。

そうすると僕ら都会に住む人の周りには「植物」はあっても「自然」はないような気もします。もちろん、「自然」を感じることはできるのですが、すでに誰かのものとなった植物に少し遠さをかんじます。

そんな都会の人にとって、都会の真ん中に突如として顕れた「山」は、オアシスのようだったでしょう。

久方ぶりにふれられる、身近な自然です。

春に庭の植物に新芽が生えたとき。あのみずみずしい薄緑に感動しました。

植物は四季のままに生き、宇宙の音楽と共に躍動しています。

僕らの体の内蔵が植物器官と呼ばれていること、そして植物が自然に従って生き生きとしていること。生命を発露させていること。

植物の持っている力を改めて感じました。