THINKING LIFE

「一遍上人語録」読書会:自分なりのまとめ

こんにちは。しんいちです。

昨日は一遍上人の勉強会の第3回でした。 

仏教の歴史の流れとして、平安仏教から鎌倉仏教にへの変遷があります。平安仏教は貴族の仏教になっていたのに対し、鎌倉仏教は民衆の仏教へとおおきく変化を遂げました。

その中で踊り念仏を提唱したのが一遍上人です。

「近きもの」を忘るる

この世は苦しみばかりだと言います。老後が不安、お金がない、恋人が、会社が。

さまざまな不安が毎日を埋め尽くし、一日中考えてしまったりと枚挙に暇がありません。そのような状態を、「こころ」に囚われている状態です。このような状態のことを「生死」といいます。こころが動き回って、疲れているのに止められない状態です。

でも考えるのをやめようと思っても無意味ですよね。

何かをしないようにしようと思うと、余計に考えてしまうのが人間です。突然、

「紫色のバナナを考えないでください」

と言われたら、今考えましたよね?

そうなんです。考えないようにしると、余計に考えてしまうのが人間なのです。

では「こころ」からどのように離れるか?

本当によく生きるために「生死」の状態から、目覚めなくてはいけません。

「こころ」から離れる

しかしよく起こる間違いが、では目覚めるために自分で努力しよう、と意気込むことです。実は、心から離れる方法は自分だけでは達成できないのです。

仏教の考え方に「他力本願」というのがあります。

いまだと全部他人任せみたいな言葉に聞こえますが、実際の意味は違います。

私達がこころに囚われているのを見かねて、救おうとする力があり、その力に気づくことで救われる。それが他力本願です。何もしないことではなく、気づく必要があります。

ではその救おうとする仏様の力に気づくにはどうすればいいか。

それに必要なのが「念」です。

「念」=「刹那」

念にはいろいろな意味があるのですが、そこに「刹那」という意味もあります。

一般的には時間は過去、現在、未来へと流れていくと思われています。

しかし、そうではなく、一瞬一瞬死に、一瞬一瞬生まれ変わっているという考え方をします。

その一瞬一瞬であれば、こころを悩ませる必要もありません。

そして、「声」は一瞬のものです。

声は発せられては、消えていく。ということは、念仏を唱え、その声と念が一つになった時に、「近きもの」に気づけるようになります。

それが一遍上人の「踊り念仏」の目指すところです。

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念念臨終念念往生
その刹那刹那に死に、刹那刹那に生きる。