THOUGHT

<『遅刻』は相手にとっても自分にとってもよくない>とは書いてみたものの日本ではそうだというだけの話かもしれない

この2日で2つの出来事があった。

ひとつは打ち合わせの2時間前に会場についたこと。

もうひとつは待ち合わせに遅刻したことだ。

前日に余裕を持って待ち合わせ場所に到着したぶん、遅刻したときの嫌な感じを強く感じたのだろう。

遅刻は相手の貴重な時間を奪う

好きな映画に『時をかける少女』という映画があります。タイムリープという、過去に戻れる力を手に入れた少女の青春物語です。

この中で『時間は不可逆』だというセリフがあります。

時間は戻らない、ということですね。

遅刻するということは相手の大事な時間を奪うということになります。

遅刻は相手だけでなく、自分の時間も損失する

遅刻をすると、早く到着しなければと焦る。

時間は早まらないとわかっていながら、何度もGoogleマップで検索をする。

なんとか少しでも早く着く手段がないか調べる。

時間は遅くならないと分かっているのに、時計の針を確認する。こういう時にはやけに、時間は誰にでも平等なのだという事を感じる。

電車に乗ったら、電車を早くすることはできないのに未だに心の中では『早くつかないかな』と考えている。

普段ならば電車の中では本を読んだり、このブログを書いたりすることができるのだけれども、遅刻することや、待っている相手のことを考えるとなかなか集中できない。

遅刻は相手の時間だけでなく、自分の時間も大いに損失させるものなんですね。

リトアニアで感じた時間感覚について

ここまで遅刻することが自分にも相手にもメリットがないということを書きました。

なので時間に余裕を持って到着しておくことが、相手だけでなく自分にとってもいいという話で終わらせるつもりだったのですが、

ふと、リトアニアでの経験が頭を過ぎりました。

リトアニアにいた時に『ターキッシュタイム』と呼ばれる時間があったのです。

『ターキッシュタイム』の『ターキッシュ』とはトルコという国を指します。

『ターキッシュタイム』というのはトルコ人の友人の多くが待ち合わせに全く来ない上に、そのことをなんとも思っておらず、逆に彼ら会う時は1時間くらい遅刻するのを予定に入れておかなくてはいけなちという事象です。

これの面白いところは、最初の2、3回は遅くて嫌な気持ちになるのですが、段々と、彼らの時間感覚にとりこまれて、『まあ、仕方ないか』となるところです。

むしろこちらが1時間早めに待ち合わせ時刻を伝えるなどすることができます。

外に出かける時も、10時に出発と約束していたのに、10時に彼らの部屋に行くとこれから歯を磨いて準備する、と言われたことがあります。

最初は怒りましたが、だんだんと、まぁ『ターキッシュタイム』だから仕方ないというようになりました。

このことを思い出すと、『遅刻』についてあれやこれや悩んでブログに書くのも井の中の蛙というか、日本ではそうであって、海外では全く違う場合もあるという豊かさを感じます。