THOUGHT

現代の我々は松尾芭蕉ほどに心が動くのか

最近はNHKの100分で名著シリーズの松尾芭蕉を読んでいました。

松尾芭蕉 おくのほそ道/長谷川櫂

価格:1,080円
(2019/4/20 21:51時点)
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彼は国語の教科書ででてくるような非常に有名な人だと思います。彼の「かるみ」について学ぼうと思って読んでいるうちに、次のような一節に出会いました。

焦がれてめぐりあう感動

芭蕉は壺の碑の前では感激のあまり涙を流しています 。むかしよりよみ置る哥枕おほく語伝ふといへども 、山崩 、川流て 、道あらたまり 、石は埋て土にかくれ 、木は老て若木にかはれば 、時移り 、代変じて 、其跡たしかならぬ事のみを 、爰に至りて疑なき千歳の記念 、今眼前に古人の心を閲す 。行脚の一徳 、存命の悦び 、羇旅の労をわすれて 、泪も落るばかり也 。

歌枕に歌われる場所は現存していないことが多い中で、久しく残っていたのが「壺の碑」と呼ばれる碑でした。殆ど歌枕の地が見つからないなかで、やっとみつけた目の前に現れる歌枕の地。言葉では知っていたけど、やっと出逢えたという感動はひとしおだったでしよう。

松尾芭蕉が旅して、壺の碑をみて涙したように、本来痕跡というものは、その場所にしかないものだったはずです。

インターネットの足跡

しかしいまや、インターネット上に人や物の足跡が残り、そして誰か好きな人や物の足跡もすぐにわかってしまいます。そこには待ちに待った、待望の何かに巡り会うという感情がうまれにくいです。

インターネットには、誰かの足跡にあふれています。例えば、食べログのユーザーのコメント。それは誰かのコメントであり、あなたの言葉ではないのに、そういうものだと判断してしまいます。

データ化された社会で、僕らが何を買ったのかがわかったり、誰をフォローしているのか分かったりします。Twitter、Instagramでその人が何をしているかが分かります。そうすると、その人がいない時間がない。Instagramのストーリーや、Twitterのタイムライン上に歌われるの人がいらるから、懐かしむことも少ない。

僕が半年間リトアニアにいって帰ってきた時、半年ぶりにあった友達に久しぶりにあった気がしない、本当にリトアニア行ってた?と聞かれました。

毎日Instagramに写真をあげていたり、ブログを書いていたので僕がいないことを感じにくかったらしいです。

「有難い」から「ありがたい」

そうすると、やっと出会えたという、待ち望む感覚がなくなってきたのではないかと思います。

欲しいものはAmazonで2日くらいで届きます。手間も時間もかからなく、ものが直接繋がるかのようです。

ものがすぐ手に入り、誰とでもいつでも繋がれるのが現状です。本来何かが手元にあるだけで、誰かが近くにいるだけで奇跡とも呼べるものなのに、それに気づけていない。

常にあると思うから、当然と思うけれど、実は有り難いものなのです。

「有難い」から「ありがたい」

芭蕉の感動をいまの私達は感じれるでしょうか。芭蕉が現実世界から感じ取って、浮かび上がったこのろの情景を歌ったのならば、彼ほどの情景を胸に抱けるでしょうか。それほどに、焦がれることができるのでしょうか。

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