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植物みたいに生きたい:内臓:腸内細菌:植物器官

最近は植物みたいに生きたいと思うようになった。

今、部屋の中には花菖蒲が活けてある。父からもらった花菖蒲は少し咲いたけれど、もうしぼんでいるように見える。花が咲くという期間は僕らから見ればあんまりにも短すぎると思う。でもそんな短い人生でも植物は人生が短いなと思い悩むことがあるんだろうかと思う。

人間は心を持ってしまい、過去と未来を知ってしまったが故に悩んでいる。未来について悩んだとしても、何も分からない。花は明日には落ちてしまうかもしれないし、明日には何かに踏みつけられて命が終わりを迎えるかもしれない。でもきっと花は人生が短いとか、明日自分が終わるかもしれないとか考えることはないんだろう。

木のように悠然と行きたい。昔ニュージーランドに行った時にマオリ族が崇拝する樹齢何千年という太い大きな木を見に行ったことがある。まだ子供だった頃の私はその木に目一杯手を伸ばしたけれど、手が回る訳でもなく、その木にただ張り付いているだけだった。あの木のようになりたい。ただ、周りが変化していく様子を眺めていたい。雨をただ受けていたい。

植物のように生きると考えた時に、三木成夫さんが「内臓とこころ」という文章の中で植物器官と動物器官の話をしていたことを思い出す。人間の体の中には植物器官と動物器官というものがある。植物期間というものはいわゆる内臓に該当するらしい。

つまり内臓は我々にとっての植物の部分であり、私が投大事にしたい部分はそこにあるのかも知れない。生物がどのようにして発生してきたかを考える時に、脳は割と最近できた期間だと気付く。植物のように生きるということは、内臓に従って生きるということだ。内蔵に従って生きるというのは割と理にかなっていると思う。昔の人は頭で考えるよりもお腹で考えていたのだろう。例えば、納得する時に「ふに落ちる」という言い方をする。この「ふ」というのは内臓のことだ。また、人間が怒った時に「はらわたが煮えくりかえる」という言い方をする。怒るというのは感情で、脳みそで怒っていると思うけれども、昔の人は「はらわたが煮えくりかえる」、お腹の中が、内臓が煮えくり返るようだという言い方をした。

お腹の中、植物の部分が非常に重要だということがわかるわかったところで、今度は僕達の腸の中に目を向けてみよう。腸の中には本当に多くの腸内細菌と言われる細菌がたくさん住み着いている。彼らは僕らが食べた物を吸収したりしてくれる、ある意味協力関係にあるものだ。最近の研究では内臓の中にいる、そういう細菌たちのバランスで、私達の性格が変わるというのが実験結果としてわかっている。

腸内微生物の移植が、自閉症スペクトラムの症状を軽減する:研究結果
性格は「腸内細菌」によって決まる:研究結果

「10%HUMAN」という本の中でも、人間の性格と腸内細菌の関係が検証されている。分かりやすい例で言うと私達の体で幸せを感じる鍵となる物質、セロトニンという物質がある。幸せを感じるというと脳で感じると思うけれども、実はこの幸せを感じる物質の八十パーセント以上は腸内細菌によって作られていることが分かっている。自分が幸せかどうかそれを脳で考えるのではなく内臓が知っているということだ。

植物のように生きたいと思うと、それは内臓にしたがって生きるということで、内臓にしたがって生きるということは、自分のお腹の中にいる目に見えない微生物たちと一緒に暮らす、一緒に共生していくということになる。そう考えると自分の体は自分だけのものじゃなくて、自分の体をないがしろに扱うというのはその協力者にも一緒にないがしろに扱うということで、自分だけの問題じゃないんだな、と改めて感じる。『脳はバカ腸はかしこい』という本のタイトルは言い過ぎのような気もするけれど、本質的に脳よりも腸のほうが人間にとって大切なのじゃないかと考える最近だ。

自分の体がもう答えを知っているなら、内臓が答えを知っているならそれにしたがって生きるまでだ。それに従うにはどうすればいいか。それは自分の微細な変化に気づくことだろう。自分の体のちょっとした違和感の声を傾けることだと思う。「まあいいか」で見過ごされがちなのがこの小さなサインを見逃さないでいることが今後大事なのかもしれない。

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