日々のこと

翳(かげ)を思い出す

こんにちは。シンイチです。

 

最近『陰翳礼讃』谷崎潤一郎を読んでいます。

 

陰翳礼讃・文章読本 (新潮文庫)

陰翳礼讃・文章読本 (新潮文庫)

 

 

 

この本は忘れられた日本人の翳の文化を語っていて、

特にヨーロッパと比較した日本人のもつ「暗闇」的な文化の記述にはひどく納得しました。

 

例えば、昔作られた螺鈿や金塗りの装飾が施された品々は「闇」の中で見る為に作られてる、と。

 

確かに、美術館で見るとき、いつも派手で面白みがない装飾だなあ、と感じていました。照明に当てられ、隠れる部分がないほど赤裸々に展示されているのですから。

 

しかし、あれらの作品は「暗闇の中で鑑賞するものであった」と筆者は主張します。

 

想像して見てください。

黒塗りの箱に螺鈿細工の施された箱があります。

それを暗闇の中で見たとき、

その螺鈿のかすかなきらめきはさぞ美しいことでしょう。

 

暗闇の中に妖しく光る色合いの美しいことでしょう。

 

他にも様々な例を挙げて、日本の文化がいかに「翳」のなかにあったかを語ります。

しかし、現代日本は暗闇を忘れてしまってはいないでしょうか。

 

街中には明かりが溢れ、特に東京は暗くなるということを知りません。

スマホ、電燈、街灯り。光に晒される毎日です。

 

好きな漫画に『ビリーバット浦沢直樹があります。

この漫画に次のように書いてありました。

「人間は灯りを発明した……」

「それによって人間は闇への恐怖も克服した」

「だがそう思っているだけで実のところは……」

「闇をいっそう濃くしてしまっただけだ」

 

闇への恐怖は凄まじいものがあります。

先日青森の弘前の近くの旅館に留まっていました。

あたり一面田んぼで、街灯もあまりない道を散歩していた時に、

横にこんもりとした森が見えました。

その森に行こうと足を向けたのですが、そこから一歩も動けませんでした。

暗闇の中にいっそう暗闇をたたえる森に恐怖を感じたのです。

 

「暗闇に対する恐怖」というものを久々に感じました。

しかし暗闇に対する恐怖とは、僕らは近くにあるべきだとも感じています。

そしてそれは恐怖だけでもないと思うのです。

 

 

先日北海道で地震があり、大規模な停電が起こりました。

その時、twitterで夜空の写真がたくさん掲載されたのをご存知でしょうか?

 

街の光がなければあそこまで綺麗な星が見えるのか、

と感動さえしました。

 

都会で暮らしていると忘れてしまいそうな「翳」と共にあること。

それを思い出したい、そして忘れずに暮らしていきたいと思いました。

 

 

 

 

最後に『逆光』トマス・ピンチョンの巻頭に掲載された言葉を紹介します。

 

 

 

世界はいつだって夜さ。じゃなきゃ光なんていらないさ

                  ーセロニアス・モンク