日々のこと

東京で暮らすには音が多すぎるから〇〇を使おう

家にいても静かな瞬間がない。そう気がついたのはつい最近のことだ。東京に住んでいると、遠くから高速道路の上を走る車の音が聞こえる。家の近くで必ずどこかで工事がしている。アパートの洗濯の音がする。

日常生活において静かな時間というものがほとんどない。自分が東京以外に住みたいと願うようになった1つのきっかけは音だ。

東京以外とはいえ、田畑に囲まれた場所でも虫やカエルがうるさいという人もいるかもしれない。確か、カエルの大合唱に囲まれて暮らしていても、住んでいる人は日常過ぎて気がつかなかったという人もいる。だから別に田舎が静かというわけでもない。

では何が違うのかというと、虫やカエルの泣き声と、工事の音や車の音の違いということになる。大雑把に言ってしまえば、自然のままの音と、人工の音だろうか。

東京には静寂がない。人工の音に常に囲まれている。音は外部からの刺激であり、それが心地よくないことは文字通りノイズに晒されて生きていることになる。

マルクスアウレリウスの自省録を読んでいる。平穏を求めて田舎に行くのは違う、と彼は言う。彼曰く心の平穏を見つけなければ都会でも、田舎でも変わらないとか。だからこそ心の平穏を見つけ出すことを第一とせよとのこと。以前東京の暮らしが辛いと言うことを知人に質問した時、「心の凪を見つけるといいですよ」と言われたことがある。なんとなくそれに近い。

自省録ではどう言ってたかな。本棚から本を出してみる。

君自身の内なるこの小さな取り隠退することをおぼえよ。

なるほど。「凪をみつける」に近い。でもどうやって心の中の小さなスペースを確保すればいい?

何よりもまず気を散らさぬこと、緊張しすぎぬこと、自由であること。

うーん、どれも自分の課題だ。集中力がそんなにないからスマホにすぐ手が伸びるし、人と話すときなんか緊張して、ZOOMですら頭が痛くなる。まずはここからだろうか。

そして男性として、市民として、死すべき存在として物事を見よ。

なんで「男性」だけなんだろ。『舌を抜かれた女たち』でホメロスの時代から、女性に発言権がなかった、と言う話となんか関係あるかな。「死すべき存在として」の方はなんとなくわかる気がする。

田舎に行かずに、自分の心の平穏をと言われても、東京で暮らしていると、音は邪魔になるし、音は人を緊張させる。環境を変えることにある程度の意味はあると思うんだよな。

東京で生きていくのに欠かせないツールはノイズキャンセリング機能だ。とりあえずリアルに音を遮断しよう。音を遮断して暮らしていると体が楽になる。緊張を解きやすい。

でもノイズキャンセリングって高いんだよな。エアーポッドとか30000円くらいするし、と思ってたらいいのがあった。

モバイルバッテリーのイメージが強いAnker社だけど、イヤホンも出していたらしい。

東京に限らず都心部で暮らしていると音に囲まれることになる。それは避けられない。だからこそ自分で音を遮断する方法を試してみるのも意外といいかもしれない。

備考:

人間は完全な無音では狂ってしまいそうになるらしい。