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『生存教室』を読んでのメモ

2020/08/29

今日は『生存教室』を読んだ。きっかけは座布団に座り、文机で仕事をするようになったことだ。

自分はいま、リビングの壁に向かって文机を置いて、座布団に座ってこの文章を書いている。リビングの真ん中には家族でご飯を食べる大きなテーブルがある。部屋に目をやると自分の目線と同じくらいの高さに椅子の背もたれがある。床に座るとテーブルや椅子が高く感じ、目線が普段より下がったことで違和感を感じた。

江戸時代の人は床の上に座布団で座っていたはずだ。時代劇とかを見ても、小津安二郎の映画を見ても畳の上に座っている。一体いつから日本人は椅子に座る様になったのだろうか。目線がこれだけ上がり、床から離れたことは身体的にどの様な影響があったのか気になった。

そこでまず椅子が何時頃来たのかなど調べてみた。それは前のブログに書いた。

「現在私たちが座っているような背の高い椅子は、明治維新ごろに入ってきたらしい。その前は座椅子というのか、床に座るのが主流だったそうだ。明治維新は19世紀後半の出来事なので、椅子が我々の生活に入り込んできたのは、それこそ150年くらい前のことらしい。」

今や生活のほとんど全ては椅子に座っている。オフィスに行けばテーブルと椅子、部屋でも食卓はもちろん、自分の机も椅子とテーブル。一体どうしてここまで一気に変化してしまったのだろうか。そしてこの変化は身体的に大きな意味を持つのではないか。

松葉舎の講師:江本さんに相談してみたところ、『生存教室』で光岡先生が椅子の弊害について力説していると教えてもらった。

それから数日間近くの本屋で探してみたところ見つからず、今日やっと神保町の三省堂で見つけた。

早速読んでみたところ、椅子の話もそうだが、どの話も面白くて全部一気に読んでしまった。『生存教室』という名前や、帯の「新たな教育論」という言葉から教育のことばかりの本だと思っていたが、私たちが失った身体感覚の本でもある。

本書の中では日本人が椅子に座る様になったことで足腰に力が入らなくなってしまったと言っている。

それを象徴するのが昔の日本人が米俵を担いでいる1枚の写真だ。女の人が1つあたり60キロの重さの俵を何個も担いでいる写真。今の私では正直60キロの俵1つでも持てるか怪しい。それだけ昔の日本人は体が、足腰がしっかりしていたということだろう。

それで、この足腰がしっかりしていることが、自分の自身に繋がるそうだ。足腰に力が入らないと無気力になり、軸もなくなる。覚悟が決まっていることを「腹が据わっている」、怒ることを「はらわたが煮え繰り返る」と言ったり、納得することを「腑に落ちる」と言ったり(この「腑」は内臓のこと)、私たちはお腹のあたりを大事にしてきた。丹田と言う大事な場所もある。

内臓というと内臓感覚(三木成夫さん)の話も書きたくなるけど、今日は割愛。本だけ紹介しておく。

本書では馬に乗ることや、田植えをすることで足腰が鍛えられていたのに、その習慣がなくなったとしている。また、椅子が導入されることで足腰に力が入らなくなったとも。

あとこれは又聞きだが、和式便所も足腰の力に影響があるそうだ。確かに、今や洋式で座るのが一般的であるが、和式だとしっかりとしゃがまなくてはいけない。

どうやら僕らはかなり足腰の力を失っていて、それが自信の喪失にもつながっている。今や日本国民の50%がうつ病もしくはその予備軍とされているし、東京の満員電車に乗る人の顔には覇気がない。本書のサブタイトルが「ディストピアを生き抜くために」というのが効いてくる。

確かに体を使うことなんて生まれてこの方ほとんどしてこなかった。中腰で田植えをしたことがない。椅子にずっと座っている。トイレはずっと洋式。

足腰に力が入らない生き方をずっとしてきたことになる。もし足腰に力が入らないことが自信の喪失と関係があるならば、むべなるかなといった感じだ。僕らは自信を失わせる社会に生きていて、そのきっかけの一つは失われていく身体性にある。となればまずは足腰を鍛えることだ。

座布団に座る生活は始めたので、1日に何回か深くスクワットをするくらいしてみてもいいかもしれない。それか力士の一ノ矢さんが「腰割り」という技を紹介していたので、それをやってもいいかもしれない。

最近履いている下駄や雪駄も足腰にいい影響を発揮してくれていると感じる。少なくとも、重心は整ってきたと思う。

下駄や雪駄など足についてのコラムはこちら

コロナの時代に人々は植物的になると言った研究者がいた。移動が自由でなくなり、その場にとどまるからだ。1つの場所でとどまり、私たちはインターネットを最大限活用して生きていくことになるみたいな趣旨の話。それで思い出しのがビデオアーティストのナムジュン・パイクさん。

車や飛行機が発達した大移動時代において、定住してイメージを遊牧させることを語った。意図せずしてコロナの影響でそういう社会が出来上がっている。

植物が根を下ろすように、僕らも足腰をしっかり鍛えて、地に足をつけなくてはいけないのではないだろうか。