日々のこと

高尾山に登る:自然の曲線と都市の直線

先日、友人たちと高尾山に登ってきました。

リフトを使えばほとんど山を登らずとも山頂までたどり着くことができるのですが、僕らは山を登ることにしました。時間にしておよそ90分。30度を超える暑い日の登山でした。

駅をでて、少し歩くと昔は宿屋街だったのではないかと思われる道にでます。両側が2階建ての木造建築に囲まれた道です。そばが有名なようで蕎麦屋さんが数件ありました。

左手に曲がるとリフトの乗り口があります。そこを脇目にさらに左に進むと何本か登山ルートの入口があるます。

僕らは稲荷山コースという見晴らしのいい展望台があるコースを選びました。

「稲荷」山コースという名前だけあって、登山口にはお稲荷様がいらっしゃいました。まずは、登山の安全を祈願してから登り始めます。

山を登るといつも不思議なのですが、都心では重いときもある足が軽やかに進むような気がします。いつも都心にいることで自然が少ないせいか、自然の中に身を置くととてもテンションが上ります。

気づかぬうちに夏が来始めていて、植物の葉の緑色は深く、青々としたにおいが立ち込めていました。うだる暑さに汗を流しながら山を登っていきます。

この記事を書いているときにふと、森田真生さんの「数学の贈り物」に「曲線」と「直線」のことが書いてあったと思いだされました。

植物は山に入ってよく見てみると不思議な形をしています。葉は四方八方に太陽を求めて広がり、木の根っこもうねうねとまるで生きている蛇のようになめらかな曲線を作ります。

山登りを日課としている森田さんは、自然のなかにまっすぐな線は見つからないといます。木の幹、川、獣道、すべては曲線を描いていて、なおかつその<蛇行や曲線は生き物と環境の対話の証>だと。<山の起伏や植物の配置に寄り添うそうに獣の歩いた形跡が残され、風と太陽の傾向に合わせるように木々が伸びる>。植物や動物が<互いに融通>し、対話をしてきた結果、山の中には曲線が現れているという。

そして自然の中の「曲線」の反対にあるのが都市の中の「直線」です。

直線は最短でものごとの始まりと終わりを結び、<効率がいい>。対話をしながら描かれた曲線とは対象的に<対話を拒絶する、環境に対する支配者(Ruler)によって、真っ直ぐな線は描かれる>。

ー「数学の贈り物」著:森田真生(2019)ミシマ社

人間は環境の影響を無意識のうちに受けているといいます。周りの人や、住んでいる場所、読んでいる本などさまざまなものから影響を受けます。もしそうであるならば、都市に生活している私が都市のいたるところに設計された「直線」に影響を受けている可能性があります。

効率的で、便利で、まっすぐ初志貫徹したような生き方を無意識のうちに植え付けられているかもしれません。

以前ダンサーの山田うんさんはマース・カニングハムについて言及していました。彼は縦横軸を意識して、ねじれた身体に無理やり直線を生み出そうとしているといいます。「人間の体に直線はない」とトークでおっしゃっていました。

電車で結ばれた、ビルが立ち並ぶ都会で生きづらく感じる時があるのは、あまりにも「直線」を求められすぎて、人間本来の「曲線」が許されていないことに起因するのではないのでしょうか。

山に戻ります。

なんとか山を登りきって山頂に到着しました。

たとえ90分のぼっただけでも、登りきったときのヨロコビは格別です。

しかし、あまりにもひとが多かったため(彼らの大部分はリフトで登ってきたため疲れていない)、少し休憩したあとに下山しました。

途中に薬王院というお寺があり、天狗が全面に押し出されていました。

下山はリフトを使用しました。山登りで体力を消耗したあとの、トロッコで運ばれていく感じと、眼科の景色が心と身体をねぎらってくれる用に感じました。

山を登るのは本当に久しぶりの体験でしたが、やはり山はすごくいいなと思いました。

都会にいると感じられない自然を感じることができると同時に、「直線」的に凝り固まった思考や心をほぐしてくれます。

高尾山は新宿から準急でおよそ1時間とアクセスがいいです。
登山も登りで片道90分前後。

一日あれば十分に楽しめます。
休日の1日を山で過ごし、心をゆるめる時間を過ごすのをおすすめします。