2019年3月3日
先日は岡本太郎記念館にふらっと行きました。
「芸術は爆発だ」の言葉で有名な岡本太郎さん。
大阪にある「太陽の塔」を作ったのも彼です。
岡本太郎記念館:基本情報
公式HP:http://www.taro-okamoto.or.jp/
アクセス:〒107-0062 東京都港区南青山6-1-19
開館時間:10:00~18:00(最終入館17:30)
休館日:火曜日(祝日の場合は開館)、年末年始(12/28~1/4)及び保守点検日。
観覧料:一般 ¥620(¥520)/小学生 ¥310(¥210)※( )内は15人以上の団体料金
*詳しくは公式HPをご覧ください
岡本太郎とパブリックアート
「芸術は太陽と同様に、全ての人に与えられ、全ての人と共有するべきものだ」という語り、多数の作品を日本全国に作り出した岡本太郎さん。
作品は、彫刻、壁画、、広場など、日本国内だけで140作品、70か所以上にあります。
自分は幼稚園の頃に「こどもの城」で遊んでいたため、岡本太郎さんの作品に親しんできました。
パブリックアートと異物
街の中に突如と現れる岡本太郎さんのアート。
それを久しぶりに見て思い出したのは、「SOIL」という漫画です。
この漫画は僕が最も好きな漫画の一つです。
ソイルニュータウンという住宅街で一組の家族が突然失踪する。
そこから始まる怪奇現象の数々。
街の中に「なにか」が入り込んでくる。
彼らは入り込んでくる「なにか」をこう呼ぶ。
「異物」
と。
作品のなかで人々が意味もないものを街の中に作り上げ始めます。
ものを積み上げたり、破壊したり、組み合わせたり。
そういう意味不明なものを作り上げることで、そこに「異物」を呼び込むことができるのです。
詳しくは漫画を読んでもらうのが一番よいのですが、
何にせよ岡本太郎さんのパブリックアートはそういう「異物」を引き込む力があるのかもしれないと考えました。
異物が古代の熱狂を巻き起こす
この「異物」を街中に設置することで彼は何をしたかったのでしょうか?
そこには情報化社会の中で、人間本来の生き方が失われていくこと。
本来持っていた呪性が失われてしまうこと。
そして彼が、その呪性と人間であることを復活させようとしていた意思を感じることができます。
以下は彼の著作からの引用です。
情報化社会だからこそ、単なる理解を超えた超情報にもっと敏感に、真剣になるべきだ。ここで、とりわけ無目的な情報を提供する呪力をもった「芸術」の意味が大きく浮かびあがってくる。
人間社会には原始時代から社会構成の重要な要素として「呪術」があった。超越者との交流、それは社会生活の根源であり、政治、経済はそれによって支えられていた。呪術は目的的のように見えていながら、人間の非合理的なモメントにこたえ、逆にいのちの無目的的な昂揚を解き放つ力を持っていた。
ところが現代社会では、呪術の目的的な役割だけが科学技術に受け継がれ、拡大されている。もう一つの混沌と直結し、超越と対話する、人間存在の根源の神秘の力に通じる面は、無価値のように顧みられない。
ーp202~203『自分の中に毒を持て―あなたは“常識人間”を捨てられるか 』(青春文庫)
生命力としてのアート
岡本太郎さんのパブリックアートと、「ソイル」という漫画の共通点は
- ・街なかに突如異物が現れること
- ・そこには原始的呪術性が入り込み、空間を変容させること
の2点があります。
人間が本来持っているなにかを思い出すために、「人間」になるために岡本太郎さんは次のように述べています。
何でもいい。見物人ではなく、とにかく自分でやってみよう。動いてみよう。日常の中で、これはイヤだな、ちょっと変だなと思ったら、そうではない方向に、パッと身をひらいて、一歩でも、半歩でも前に自分を投げ出してみる。出発はいま、この瞬間からだ。
自分の中に毒を持て―あなたは“常識人間”を捨てられるか (青春文庫)