日々のこと

やっぱり私は紙のノートの手触りが好きだ

新しいノートに初めて文字を書くときはとても緊張する。

もちろんノートは書くためにあるもので、そんなこと気にしてどうするという人もいるでしょう。

それでも真っ白なノートに何かを初めて書くときはドキドキします。

袋から取り出されたノートの手触り、傷一つない表面の美しさ。

使い古されていくにつれ、よれていく紙と対象的に、ぴしっと整った、これから2,3ヶ月は一緒に旅するノートです。

これから何を見て、感じて、このノートに記していくのでしょうか。楽しい思い出の詰まったノートになることを願います。

ここ数年間、ノートを使わない日はありませんでした。楽しかったことや、辛かったこと、仕事のアイデアや、旅の思い出、全てがノートに記録してあります。

自分にとってノートはなくてはならないものでした。

いろいろなことを記録してあるので、いかにも見直しとかしてそうなものですが、実は書いたノートを見直したことはほとんどありません。多分、記録するという行為そのものが好きなのです。

ノートを書くという行為には一種の瞑想的な部分があります。人間は頭の中で考えるのに限界があるようです。不安を神に書き出すと、気持ちが安定するとも言います。

確かに怒りや不安などは頭の中でだけ考えていると、堂々巡りをして、余計に悪い方向に考えてしまいます。頭の中で考えを抑え込もうとしても、むしろその嫌な思考を増長させてしまうだけです。それが、紙に書くと、その怒りや不安が、インクを通して、紙に滲み出していくような気がします。

紙に書くのは忘れるためかもしれません。頭の中に余白を作ってあげて、さらに他のものをインプットできるように。

WIREDという和ツィの好きなメディアにメモを取っても記憶は定着しない:研究結果という記事がありました。この記事では以下のようにまとめています。

読者諸兄には、ぜひこのことをメモして欲しい(いや、実際にはメモにとらずに、単に覚えていて欲しい)。メモを取れば、あなたの記憶をむしばむ。

https://wired.jp/2015/01/17/taking-notes-is-no-good/

僕たちは毎日膨大な情報にさらされながら生きている。それはまるで、嵐の海の中の小舟のように。毎日スマホにやってくる誰かの不倫疑惑や、事件のニュースに頭が埋め尽くされる。

すべての情報をただただ吸収して、消化しなければお腹いっぱいになってしまう。それはきっと食事と同じようなものだ。

いつでも満腹では余裕がなさすぎるから、少しは空白を作ってあげる。

ノートに書くことで、頭の中の情報を減らす。

その行為はまるで、精神の安定剤のような役割を果たしてくれる。

デジタル化が進んでいくけれども、もうしばらくは紙のノートとペンが手放せそうにない。アナログのもつ手触りや、質感はいつも心を落ち着かせ、慌ただしい世界の中にある「凪」のような役割を果たしてくれる場所だから。