日々のこと

「エコ」という概念に再定義が必要かもしれない

先日から「エコ」について強く考えるようになりました。

きっかけとなった記事についてこちらのツイートに書いてあります。

この記事を書く時に、ゴミについて悩んでいました。
自分の住んでいるマンションではゴミ出しの日の朝に一階に捨てに行かなくてはいけません。例えば、燃えるゴミは火曜日と金曜日です。

つまり金曜日にゴミを出したら、土日月の三日間は燃えるゴミを捨てられないのです。

小さな袋にして2、3個のゴミが溜まってしまい、それがストレスでした。

そこに<そもそもゴミを減らせばいいんだ>ということをこの記事から学びました。

ちなみにエコって少し古臭いイメージを持っていました。
エコにするより、使い捨てのがものを持たなくていいじゃんとさえ思っていました。

(ちなみにこの部分が<ミニマリズム>という考えへの違和感の答えになってきました。)

とはいえ今はエコバッグを持ち歩き、ペットボトルのゴミを出したくないので水筒を持ち歩くようになりました。

「エコ」の意識を持つようになると、日本でゴミを出さないことがいかに難しいかを常々感じます。コンビニで買うものは全て梱包されていますし、スーパーの野菜の一つ一つも袋に入っています。

「エコ」に意識をむけはじめてから、こんなにゴミが出る社会構造ってどうなんだろうかと考えています。

ドイツでは廃棄食材で提供されるレストランができていますし、ほかにも以下のようなニュースがあります。

レジ袋の無償配布を禁じる法令制定へ プラごみの排出を抑制するため #ldnews https://t.co/0EDzh2b1OP

— 舞田敏彦 (@tmaita77) June 3, 2019

日本でもオリンピックにむけてプラスチック削減に取り組み始めるようですね。

レジ袋有料の義務化「来年までに」 環境相が意向
https://www.asahi.com/articles/ASM6363TRM63ULBJ00W.html

世界的に「エコ」な方向に進んでいるようです。
しかし「エコ」という言葉も少し違和感があります。

何か新しい言葉の提唱が必要な気がします。地球に優しいだけでなく、それが「ウェルビーイング」につながるような、より広義の新しい概念です。

エコに生きるということは、今あるものを丁寧に、綺麗に扱うということにもつながります。

丁寧に暮らしていくこと、一人一人のささいな日常が輝いていくことが世界を変えていきます。民芸が目指したことと、エコの思想について。