Column

フィルムカメラの思い出#2

こんにちは。しんいちです。

今日はフィルムカメラの写真を現像してきました。
以前もこちらのブログで書いたのですが、フィルムカメラというのは私にとって新鮮なものです。

今はデジタルで写真を撮ったらその場で確認することができます。何枚でも無制限に撮ることができますし、加工も自由です。

しかしフィルムカメラではそうも行きません。

撮った写真は現像するまでどのような仕上がりかわかりませんし、一本のフィルムで2,30枚しか撮影することはできません。

スマホのデータ容量が一杯になるよりよっぽど早く限界が来てしまいます。

一枚撮ったらダイヤルを回すことも、シャッターをカチッと押すことも、全てが新鮮でした。これは20代くらいの人にとっては新鮮でも、それより上の世代にはむしろ当たり前だったものかもしれません。

しかしデジタルに慣れきった私達にとってはむしろ新鮮なのです。
レコードがはやったり、フィルムカメラ、写ルンですが流行ったり。

一昔前の少し不便なアナログさに憧れや魅力を感じる人は一定数いるのでしょう。

今回現像したものは大体がピントが合っていません。
でもそのぼやけ具合やザラザラ加減が魅力的だと感じます。

写真とは普通、ピントがちゃんとあっていないといい写真ではないというイメージがあります。ピントを合わせてクリアな写真を撮る。それがうまい写真の条件のような気がします。

iPhoneで撮るときも、ある程度いい感じのところに勝手にピントが合います。
一眼レフもそうです。

マニュアルモードにわざわざ設定しないと完全にピンぼけな写真は撮れません。

しかしアナログなカメラは違います。
マニュアルモードが基本です。

しかも私は自分のカメラの設定がわかっていません。
どうやったら絞りが変わるのかもわからないので、ピントも合わせようがないし、そもそもクリアに撮ろうなんて考えてもいません。

ただ対象にカメラを向けてシャッターを押すだけです。

そうやって撮られたピンぼけの写真を見て、あいまいで、不完全で、それでいて美しいなあと思いました。

先日訪れたボルタンスキー展に関連したインタビューで彼は

アートの美しさは、不正確であるということ。アートは少しの刺激を与えるもので、見た人それぞれがその刺激をもとに必要なものを再構築していく。

と述べていました。

写真も不鮮明だからこそ私達が何かを考える余白を残してくれているのでしょう。