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最近言葉について考えていること

最近言葉について考えていること

「自分の言葉」というものを考えてみると、その難しさに気がつく。まず日本語という言葉を使用していまこの文章を書いている。そうすると日本語の上で考えることになるので、その時点で果たして「自分の言葉」かどうかという疑問が出てくる。

色の話をしよう。昔の日本人には黒白赤青しか、色の判別方法がなかったという。いまでいう黄色は赤で、緑色は青と呼ばれていたのだろう。

だが今の僕らはたくさんの色の存在を知っている。藍色、空色、青だけでもバリエーションが豊富だ。

だから日本語という言葉のある種の制約の中で僕らは生きていることを最初に自覚しなくてはいけない。(制約がないと自由にはなれないという話もある)

日本語という前提の存在に気がついたところで、次にインターネット上の他人の言葉について考えてみたい。

今の私たちは今までにない速さで情報が行き交う世界に生きている。何か疑問が沸けばすぐにGoogleで調べれば答えが出てくる。そう思っていたが、果たしてそれらの言葉は答えなのだろうか。自分の言葉ではないかもしれない。

例えばあなたが、留学に行く直前で、不安をかんじているとしよう。友達ができるか、授業についていけるのか、色々な不安が頭を過ぎっているはずだ。そこで、「留学 不安」という言葉を検索する。すると「あなたが留学で不安な理由7選:その解決法もお伝えします」みたいな記事が出てくる。それを読んだあなたは、ああこれこれと思いながら読み、その解決策をみて、そうすればいいのかと一安心する。でも、そこで納得した悩みは本当にあなたの悩みだろうか。

誰かの7選に当てはまらない貴方だけの悩みや不安もあったかもしれない。個人個人は本来繊細な個別性のある悩みを持っているはずなのに、だ。

ブログを書いていると、「相手に共感し、相手の悩みを解決してあげる」のが大切だと書かれている。そして人気の記事がGoogle検索で上位に来るわけだ。

だから、簡潔に私たちの悩みに答えてくれるような記事がすぐに目に入るようになってくる。そしてかりそめの答えにいったん満足しても、結局自分の悩みではないので解決されない。だから、他の記事をまた探す。

本当は自分の言葉でかんがえなくてはいけないのに、他人の言葉で考える癖をつけている。そのうちにきっと自分の考えや自分の言葉がわからなくなる。

自分もそれだ。

では自分の言葉で考えるにはどうすればいいのか。

また色の話をする。

私がいま目の前で青色だと思っているものは誰かにとっては違う色かもしれない。その人は僕にとっての「赤」色を「青」と読んでいるかもしれないのだ。それはわからない。

だから世界はもっと自由なはずなのだ。色の認識も、世界の認識も。それを念頭において、しばらくは世界を見てみることにしたい。