日々のこと

【感想】映画「ターミナル」を観て

あらすじ

アメリカ、ジョン・F・ケネディ国際空港の国際線ロビーでクラコウジア人(架空の国)のビクター・ナボルスキー氏は入国できずに困っている。実は、彼の母国のクラコウジアでクーデターが起こり事実上、母国が消滅してしまったのだ。そのため、彼のパスポートは無効となり、アメリカに入国できないことになっていた。

そこからビクター氏の空港での生活が始まる。

空港の職員との交流や、空港の管理者との衝突などさまざまな出来事を通して、彼の入国までの日々を描いているスピルバーグ氏の映画だ。(この物語にはモデルがいるらしい)。

国がなくなる

国がなくなるというのはなんとも不思議な気持ちだ。自分の住んでいる国がクーデターで世界的にないものとされてしまったとき、かれはどんな気持ちだっただろうか。

仮に自分が日本を出ている間に、日本でクーデターが起きていたら。
そして空港から出れなくなってしまったら。

国を失うという間隔はどのようなものなのか。

ユダヤ問題では「国」というものが問題になることが多い。

なぜなら彼らは国を失い、世界各地に離散した民族だからです。

話は「バビロン捕囚」という出来事にまでさかのぼります。これは紀元前6世紀ごろのできごとです。
ユダヤ人国家は外敵に支配され、強制移動させられ労働を強いられます。

これを神が与えた「罰」と考えた所から一神教の誕生に至るわけです。

国がなくなると、自分の来歴について必死に考えることになるのでしょう。

一国民であること、一個人であること

主人公のビクター氏は国を失いました。

しかし、彼は彼であり続けた。信念を持って。

当然彼の状況は恵まれたものだと思いますし、なによりこれは映画です。

でも映画にはある程度人生のヒントが隠されています。

今回の映画で私たちが学ぶのは、彼のぶれない生き方です。

国がなくなったときにもちろん「国がなぜなくなったのか」と嘆くでしょう。
彼は嘆くだけでなく、<約束を絶対に果たす>という信念のもとに空港での状況と戦いました。

それは一人の人との約束です。国がどうこうというよりも、一人との約束が大事でした。

僕らにとって国とはなんでしょうか。
インターネットができて、国の国境というものを溶かしつつあると言われています。

実際に世界を旅してみると、大陸では陸続きのため、どこが国境か全くわかりません。

むしろなにもない地平が見えるだけです。

しかし、そこに国の境があるというのが「国」です。

僕はヨーロッパを回って、国境なんてあるのだろうか、という曖昧さを感じました。

もっとにじみ合って、溶け合うような、粘菌のような。

少なくとも定規で線をひけるような関係性にないのは確かです。

国よりも大事なのはなにか。

それは自分と身近な人です。

人間はグローバル化しても、結局自分の周りの世界がまず第一です。

「ターミナル」は国や、こじんの関係性などさまざまな「つながり」を空港という網の目のような場所で繰り広げてくれる素晴らしい映画です、みなさんもぜひ見てみてください。