アテネからメテオラ修道院に向かう電車。
4時間30分の長旅だ。
眠りに落ちたり、ぼんやりと車窓の景色を眺めたり、ブログを書きながら時間を過ごしていた。
車窓からの景色はずっと小高い丘。
たまに木々のたくさん生えた林がある。
なんにもないような場所だが、人が歩いているのを見つけた時にふと気がついた。
そうか、ここにも人が住んでいるんだ、と。
丘しかないところにも生活がある。
もしかしたらあの崖の上で生活している人がいるかもしれない。
どんな生活だろう。
どんな物を持っていて、
どんな食べ物を食べて、
どうやって収入を得ているのだろう。
私が通過地点としか思ってなかった場所は
彼らにとって生活する大切な場所。
それは飛行機で通り過ぎる眼下の町にもそう。
ヨーロッパを旅行している時、訪れた土地は点と点で繋がっていた。しかし、その点と点の間に、無数の点がある。
数直線は点の集合だと受験の時に習ったと思う。
一本の線は存在せず、どこまでもグラデーションが続くのだ。
リトアニアのナショナリズムの授業で
その国の言語が母語なら国民か、
その土地で生まれたら国民か、
同じ文化を持っていれば国民か、
という話があった。
日本と違って、陸続きの大陸だからこその考えかもしれない。
しかし、
こうやってみていると、文化にはっきりとした線引きはできるのだろうか。
スイスからリヒテンシュタイン公国に行った時、国境は川だった。
その川の上に橋がかかっており、橋の真ん中に国境と書いてある。
ただそれだけ。
「なんだ、国境なんてこんなものなのか」
直線が点の集合であるように
国境にラインなんてないように
世界は思ったよりも分け難いもののようだ。


















