Column

読書論:ただただ本を読めるという幸福

こんにちは。しんいちです。

先日は熱海におりました。一泊二日の小旅行でしたが、熱海の海を眺めることができる部屋でゆっくりしてきました。その部屋には海に面してベランダがありまして、椅子を持ち出して本を読んでいたんです。夕方から日が落ちる間際の青い時間まで、波の音を聞きながら、コーヒーを淹れて本を読みました。

・ただただ本を読めるという幸福

最近は仕事のことで頭がいっぱいでいつでも仕事のことが頭にありました。休みの日も電話やメールがくれば仕事に対応したりしていて。しかしながら、今回はしっかりと休むことを伝えた上での休みだったので、仕事のことを考えなくてもいい状態になりました。

仕事のことを考えなくていいとなると、好きな「本を読む」という行為に没頭することができます。

特に印象深かったのが、後の予定に追われなかったことです。

・今まで本を急いで読んでいた?速度の呪縛

後の予定に追われてないと感じたと同時に、じぶんは早く本を読まないといけないという呪いにかかっていたことに気がつきました。世界には膨大な本がありますし、興味のあることを調べようと思ったら読書に費やしたい時間は人生を何度やり直しても足りないほどでしょう。「読みたい本を読み切るには人生は短すぎる」という言葉を誰かが言っていた記憶があります。

だからこそ効率よく、読み終えて、どんどん知識を蓄えて行かなくてはと思っていました。

ホリエモンさんのいう「完了主義」という言葉など、最近は早く終わらせるということが大事になってきました。

一方で小倉ヒラクさんやドミニクチェンさんのお話しされる「発酵」するという時間軸も見直されつつあるように思います。

この速さと遅さの間に最近は板挟みになっていたように思います。

特にそれは仕事の記事や、このブログでも思っていたことです。

・一本の記事は1日にしてならず

毎日仕事の記事を1本ああげれるように、大量生産の日々に追われていました。1記事なら大したことではないという指摘もあるかもしれませんが、英語で書かれた記事を読んで、翻訳し、日本語でまとめるとう作業には時間がかかります。しかし、すぐに記事を書ききるということに追われていたため、細部にまでこだわることができていませんでした。

・毎日続けるからこそ出てきた言葉と、毎日続けてきたからこそ見えなくなってきた言葉

毎日なんとか記事を書き上げていくと、それでも文字数をサクッと書くことができるようになりました。今では1000文字以上書くのは苦ではありません。

しかし自分が書きたいようなしっかりとさまざまな文献を比較したり、読み込んだ記事をかけていないことも事実です。

なにごとにも一長一短だとは思うのですが、最近は思索をじっくりと深めるような書き方に憧れています。多分早いのとおそいのをどちらを大切にするかは、波のように繰り返したりするのでしょう。

ただ、本を焦らずに読みたい。そしてその記事を書きたい。

そう思いながら、この記事を30分という時間の中で焦りながら書いている日々です。