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日記は忘れるために書く:人生を良くする日記術

「いらぬことを忘れるために日記はある」

こんにちは。しんいちです。

今日の東京は朝は大雨で、昼以降は快晴で穏やかな天気でしたね。
さて、冒頭に紹介した引用は外山滋比古さんの著書『』の中の言葉です。
「いらぬことを忘れるために日記はある」とはなんと衝撃的な言葉でしょうか。日記は記録のために残しているものであり、思い返せるようにするためのものだと思っていましたが、まさか忘れるために書いているとは一体どういうことでしょうか。

日記の効用

日記を書くことのメリットはたくさん述べられています。その前提として歴史上の偉人が日記を残している傾向にあるからです。例えば、ニュートンやリンカーン、ナポレオンなどが有名ですね。ちなみに外山滋比古さんはこの本の中で<歴史的に見ても、『土佐日記』とか『更級日記』とか、文学作品に日記の文字が使われている。(ヨーロッパと比較すると)日記に関して日本は卓然たる先達である。【()は筆者注】>と書いています。

日記の具体的な効能としては以下のようなものが挙げられます。

  • 「よかったこと」を書くだけで自尊心が上がる
  • ストレスなどの感情に折り合いをつける
  • クリエイティビティを発揮する…など

以上のような効能についてはなんとなく知っていたのですが、外山滋比古さんは「忘れるために日記を書く」といいます。それを理解するためにはまず、<文字は記憶力を退化させる>ことについて知らないといけません。

文字は記憶力を退化させる

文字が発明されたことで、私たちは自分でものを覚えなくても、書いておけばいつでも見返せるようになりました。それは文字以前の文化からすると非常に画期的で、まさに脳の記憶の外部化に成功したわけです。文明は文字によって著しく発展したことは認められなければなりません。一方同時に「記憶力」は失われてしまったと筆者は言います。

耳なし芳一にでてくる琵琶法師という人がいます。かれらは目の見えない語り部で、平家物語など膨大な量の物語を暗記し、朗々と歌っていたといいます。彼らは目が見えない、つまり文字が見えなかったため、記憶するしかなかったのです。

平家物語を全て暗唱するなどできる気がしません。他にも目の見えない方がすさまじい記憶力をもっていた例がいくつかあります。

<どうやら、文字と記憶は合性がよくないようである。>とした上で、メモをすると安心して忘れてしまうならば、それを逆手にとり、忘れたいことを書けばいいということになります。

積極的に忘れよう

現在の我々は情報化社会にいます。多くの人がスマホをもち、常に最新ニュースを受けとり、ツイッターで友人、知識人、様々な情報を入手し、インスタグラムのストーリーをリアルタイムで眺める。街を歩けば広告に囲まれ、宣伝カーが走り回ります。日々たくさんの情報を受け取っている私たちの脳はパンク寸前、もしくはパンクしているのでしょう。

脳は寝ている間に必要な情報と、不必要な情報を仕分けして、不必要な方を捨てているといいます。しかし現代は情報量が多すぎて、睡眠だけでは処理できなくなっているのでしょう。そこで「いらぬことを忘れるために日記はある」のです。

日記というのは覚えておくためにしていると思っていました。しかし、むしろ忘れるために日記を書く。今の時代は忘れることがいいこととは思われていません。しっかりと物事を覚えていて、知識も豊富にあるのがいいとされています。忘却が悪いこととされていますが、知識量だけではグーグルにも敵いません。むしろ、記憶することより、記憶を使ってどうするかを考えるほうが有益だと思います。そのためには余白が必要、つまり忘れることが大いに重要になっていきます。

ということで「いらぬことを忘れるために日記はある」ということをこのブログに書き留めて、忘れてしまおうと思います。では。