THOUGHT

自分の好きな文体で書くのは自分にとってもいい

昨日は文章を100日ほど書いてきて、自分が感じたことを書きました。

今回は文章を書くという行為について改めて考えてみたいと思います。

ブログを書くときの文体について

最近、自分のブログの文章を書く文体を変えてみました。以前は一般的な文章の書き方の本に則って、3部構成にしたり、わかりやすい語り口を意識。またSEO対策的に読まれやすい文章を考えて書いていました。

例えば「〇〇する方法」といった内容の記事です。しかし、100日以上書き続けてきて、この文体は私にあんまり合っていないという風に感じました。自分の好きなように自分の言葉を書くのであればいくらでもかけそうなのに、実用的な内容も、しくはリサーチ的な内容に関しては自分の頭が全くうまく働かないのです。

こういう経験を通して私は随筆とかエッセーとか散文みたいな文章が一番自分に合っているなと感じました。なのでここ数日は、本当に自分が感じたこと、その日に読んだ本で学んだことを書くようにしています。

確かに収入的な面や、読者が欲している情報を与えられるかといった点では、僕のブログの文章は機能していないかもしれません。しかしそれでも自分の書きたい文章というものがあるので、それにしたがって、最近は書くようにしています。

まずは少しお試し期間です。ただこの文章の書き方をしている時に、自分にとっても、自由な文体で書くという取り組みは「いいな」と思うようになりました。

自分の好きな文体で書くのは自分にとってもいい

実はこの文章は音声入力で書いています。自分が話したことをスマホに勝手に文字起こししてもらっている形です。

この書き方だと自分の文章が自分の言葉で淀みなく出てくる感じがあります。もちろん自分の中でテーマが定まっていない時は全くうまく話せないのはプレゼンテーションと同じです。自分の言葉をパソコンに文字起こししてもらって、記事を書くというスタイルにしてから、自分の中に眠っている言葉みたいなものを引き出せる感じがするようになりました。

頭で考えながら計画よりもより無意識のうちに言葉を選び取られるという感じでしょうか。自分の話した言葉というのは思ったよりも自分が意識していない言葉を引き出してくれるものです。今日は自分が通っている、松葉舎というところで「書く主体」についての話になりました。

文章を書く主体が私なのか、それとも文章それ自体なのか。少しはわかりやすく言うと自分が文章書いている最中に、フロー状態のようなものに入り、言葉がスラスラと出てくることがあります。このフロー状態に入った時は、<文章が文章を書いている>状態に近いと思います。

(「仕事が仕事をする」に言い方が似ていますね笑)

この状態がベストかというとそういうわけでもなく、その間のバランスを取るのがいいという風に一般的には言われていると思います。そう考えると、最近のブログの試みは私が書く文章よりも文章が文章を書くという試みに近いという風にも言えます。

この文体にしてから、自分が意図しなかった言葉がでてくるようになりました。その結果、自分の無意識の考え方や、言葉遣い、キャラクターなどが変化してきたように感じます。