東京ミッドタウン六本木にある虎屋で箸置きの展示が行われていました。
箸置きについてのエッセイが壁面に掲示されていました。
特に気に入ったのが
「じつは箸置きがだいじに守っております働きは、無事に橋が戻って帰りつく、その場所なのである。」
と書いてある一説です。
「戻る場所」としての箸置きを少し拡大して解釈してみると、帰ってきて家で食べる夜ご飯も大切な「戻る場所」です。
私は夜ご飯がいちばんの楽しみです。
その日にあった何気ないことをはなしたり、映画をみたり。
1日の報われる時間のひとつというか、まさに帰る場所というか。
日常の中のささいな特別さを考え、箸置きについて考えた時に
ご飯はある種の「儀式」だと感じました。
ご飯というのはちゃんと手間をかけて作っても、カップラーメンにしても、別にかまわないものです。
カロリーがとれて生きれるならば構わない、という人もいるでしょう。
松浦弥太郎さんという方がいて、彼の著作の中で、以下のような言葉があります。
自分や家族の手料理でも 、お店で売っているサンドイッチでも 、つくった人の心がこもったものを 、おいしく食べたい 。食べるということに対して 、きちんと感謝したい 。それ以外のものは 、おそらく毒に近いんじゃないかと思います 。忙しさを口実に 、いつも機械でつくられたものばかり食べていたら 、大人も子どもも不幸になってしまう気すらします 。
この考え方に私は賛成で、だからこそ自分が家にいるときは必ず料理をします。
それはここが「帰る場所」なんだよ、と示してくれる大切な時間だからです。
そんな大切な時間だからこそ、日常とは離れた演出が必要だと感じました。
私の家にはテーブルが一つしかありません。
そこで仕事をしますし、そこで映画を見ますし、そこでご飯を食べます。
敷物をしかずに、直接お皿を置いてご飯を食べてると違和感がありました。
そこで敷物を敷いてみてもまだなんとなく腑に落ちていなかったのですが、箸置きをみた時にピンときました。
テーブルに足りなかったのは箸置きだったのです。
箸置きこそが夕食を特別な時間にしてれる鍵だと知ることができました。