日々のこと

本はツンドクだけで効果がある:ウンベルト・エーコの書斎から

未読本が増えていくけどそれでも本を買ってしまう皆さんに朗報です。
本はツンドクだけで効果があるということがわかりました!

今日見つけた記事に「The value of owning more books than you can read」という記事がありました。日本語で「自分が読める以上の本を所有する価値について」というタイトルです。

この記事の内容が面白かったので、私の翻訳でまとめてみました。
私の意訳の部分が多いので、間違い等あったら失礼いたします。

読書家の多くは自分が読み切れないほどの本を買いがちである

『ブラック・スワン:不確実性とリスクの本質(上・下)』望月衛訳、ダイヤモンド社、2009年の著者であるナシム・ニコラス・タレブ氏は未読の本に囲まれることは自分が無知であることを教えてくれるといいます。

読み終わらない本が増えていくと罪悪感を感じます。それなのに、興味がある本があれば買ってしまいますし、古本市があると手に取らずに入れません。

本を読むのがすきな人ならわかると思います。

ナシム・ニコラス・タレブ氏は未読本の量が「アンチライブラリー(反図書館)」になるといいます。では「アンチライブラリー(反図書館)」とはなんでしょうか?

自分の無知さを知らしめてくれる未読の本たち:「アンチライブラリー(反図書館)」

「アンチライブラリー(反図書館)」という概念については著作『ブラック・スワン:不確実性とリスクの本質(上・下)』に載っているといいます(私は未読です)。

彼は「アンチライブラリー(反図書館)」を説明するためにウンベルト・エーコを引き合いに出しました。エーコの蔵書は30000冊に及ぶとされています。

エーコの部屋に客人が訪れたときには彼の蔵書に驚き、この全ての蔵書が彼の知性を表しているかと思います。しかし知恵のある人は彼の知識を表しているとは考えずに、彼の探求への意欲を表していると思います。

エーコは仮に10歳から80歳までの70年間毎日本を読んだとして、人生で25200冊の本しか人生で読めないと書いています。

エーコの例からタレブは以下のように述べています。

「既読の本は未読の本よりも価値がありません。(中略)年をとるに連れて知識を蓄えて、読んだ本も増えていきます。そしてあなたの本棚にある未読本はあなたを脅迫してきます。実際に、知識を得るに連れて未読本の列は増えていきます。この未読本の数々を「アンチライブラリー(反図書館)」と呼ぶことにしましょう。」<独自の意訳です>

「アンチライブラリー(反図書館)」の前提には、人々が自分の知識量を多めに見積もり、知らないことを少なく見積もる傾向があるとされています。

人が自分の知識を過大評価するのに警告を与えるためにも「アンチライブラリー」は役立ちます。

「intellectual humility(知的謙遜)」という概念があります。これは自分がまだ十分に学んでいないことを知り、さらに学習を深めていくことです。ソクラテスの「無知の知」に近いですかね。

この記事の著者は「アンチライブラリー」の概念に少し違和感を覚えていたようです。
そこで彼が発見したのは日本の概念「ツンドク」です。

ある研究によれば80冊〜350冊の蔵書がある家で育った子供はリテラシー、情報伝達の技術などにおいて秀でていると言います。実験結果から本に囲まれた環境というのは子供の知性に影響を与えている可能性が考えられています。
また、他の実験でも読書はストレスを減らし、社会とのつながりを感じさせ、社会性を向上させるなどのメリットが提示されています。

Jessica Stillman という学者は以下のように述べています。

「全ての未読の本はあなたが無知であることの証明です。しかし、仮にあなたが自分がいかに無知かを知っていれば、他の人よりも一歩先んじていることになるでしょう。」

まとめ:本はツンドクだけで効果がある

読み終わっていない本がたくさんあるのは常に罪悪感がつきまといます。私もそれが嫌で本を買う量を減らしたり、読まなそうな本を処分してきたりしました。

しかし、本というものは読んでいなくてもそこにあるだけでいい影響を与えてくれているとわかりました。少なくとも、自分はこれだけ知らないことがあるのだ、という「無知の知」を知らしめてくれる効用はあるようです。

私の尊敬する劇作家の井上ひさしさんもツンドクの効用を上げてらっしゃいました。

未読本が増えていくことに罪悪感を覚えることもあるでしょうが、本はツンドクだけで効果があるということがわかりました。

参照元:「The value of owning more books than you can read」