THOUGHT

蕾はゆっくりと、劇的に開く

今日は少しとりとめのない話をします。まぁ、いつもかもしれませんが。

今日は久しぶりに友人が韓国から日本に来ました。東京を案内するのを少しお手伝いして一緒に回りました。

自分の住んでいる場所は割と都心の真ん中です。観光地にアクセスしやすい場所に暮らしています。

今日、友人は渋谷のスクランブル交差点を見たい!と言いました。

ギョッとしたのを覚えています。

あれの何がいいんだろうか。。。

僕にとってあの場所は苦痛の場所でしかありません。人が多く、肩と肩がぶつかり合いながら交差点を渡るだけでも消耗します。

渋谷のスクランブル交差点は有名な観光地になっているようです。

僕にとってはうっとうしい日常の一コマでしかないものが観光地に、積極的に見たいものになるというのは衝撃的でした。

スクランブル交差点にむかって、「レッツゴー!」と言って飛び込んでいくさまを見たときに、文化や場所の来歴が違うということに改めて気づきました。

近くに住んでいる私にとって、スクランブル交差点は何度も体験し、慣れて、疲れるようになった経験です。

しかし観光しに来た人にとって、スクランブル交差点は初めての体験で、新鮮で、興奮する経験なのです。

この立場が変わると感じ方が変わるという事実が突然に突きつけられた気がしました。

こよ友人は近くのカフェに行きたい!といいます。わたしも昔はカフェが好きでした。今も好きですが、暑さの中をカフェまで歩く気力がわきません。

しかし家のすぐ近くにはたくさんのカフェがあります。

アクセス可能なすぐ近くなのに、自分にとっては馴染みで近いから行く気がおきない。

しかし遠路はるばる来た人からは、わざわざそこに行きたい!というものになっている。

立場を変えれば、なれてしまったような日常ももしかしたら、劇的に変化するのかもしれません。

スクランブル交差点の人の行き来にうんざりすることなく、なにか新しさを見いだせるかもしれない。

近くにはたくさんあるカフェに行くことの楽しさが、再認識できるかもしれない。

世界の味方はどの場所にたち、どの来歴をもっているかで劇的に変化します。

仮に、仮にですが自分の立場を、世界を見る目の感覚を工夫することができたら、単調になりがちな毎日が鮮やかな刺激に満ち溢れるかもしれません。

写真をとったり、文書を書いたり、花の成長を見続けたり。

植物はゆっくりですが成長します。

いま、テーブルの上にある桔梗の花は少しづつつぼみが花開いています。

全ては変化しているのです。ゆっくりと、劇的に。

仏教ではまさにいま、ここで死滅し生まれ変わっているような、強烈な生の考え方を持っています。

あなたはいまどこに立っていますか?

一つの場所にとどまりすぎていませんか?

この文書を読んでいる今この瞬間に、あなたは死に、生まれ変わり、それと同時に蕾は開き始めています。