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夏越の祓えの概要:半年に一度の身を清める行事

今日は「夏越の祓え」の日でした。
地元の神社で形代を奉納し、茅の輪くぐりもしてきました。

今回は夏越の祓えの概要と起源などについてまとめました。

夏越の祓えの概要:半年に一度の身を清める行事

目的:新しい年になって半年がたつので、その間に身についたケガレを清めるために行う
日付:6月30日
場所:各地の神社
起源:1000年異常前に遡るとされる

夏越の祓えの順序としては

  1. 人形(ヒトガタ)を奉納する
  2. 茅の輪をくぐる
  3. お祓いを受ける

という順序です(私が体験した順序なので他の神社さんでは順番が異なるかもしれません)。

では「人形(ヒトガタ)」と「茅の輪をくぐり」とは何でしょうか。

人形(ヒトガタ)とはなにか?私の代わりにケガレを引き受けてくれるもの

人形(ヒトガタ)とは人の形を模した形代のことです。
ヒトガタを神社に奉納するには順序があります。

  1. 自分の氏名と年齢を書く
  2. 息を三回吹きかける
  3. 体の各所を撫でる

体を撫でることで、半年で体についたケガレを形代に移します。

その形代を神社に奉納し、それをお清めしてもらうことで自分も清められるという寸法です。

茅の輪くぐりとは?

茅の輪くぐりとは、神社に設置された「茅の輪」を八の字に三回くぐることで身を清めるものです。

「茅の輪」はチガヤという植物から作られています。単子葉植物イネ科チガヤ属の植物であり、茅葺(かやぶき)屋根に使われます。また「ちまき」も元々は「茅巻き」と書き、この植物を使っていたとされています。

なぜ茅の輪をくぐるのでしょうか?それには以下のような逸話があります。

昔、ある兄弟のところに、一人の旅人が現れて一夜の宿を乞いました。裕福な兄は旅人を冷たく断り、貧しいながらも弟の蘇民将来(そみんしょうらい)は温かく旅人をもてなしました。数年後、旅人が恩返しにと再び蘇民を訪れますが、実はこの旅人はスサノオノミコトで、その教えに従って茅の輪を腰に付けたところ、疫病から逃れられ、子々孫々まで繁栄したということです。

http://www.i-nekko.jp/gyoji/2013-062613.htmlより

身を清める行事の意味

ケガレとは何なのでしょうか?

今の私達にはいまいちピンと来ないかもしれません。
自分がケガレているのかどうか、何か罪を犯しているのか。

仮に人を殺したり、盗みを働いたりしているならわかりやすいのですが、なかなかそういう人も少ないでしょう。

けがれ【汚・穢】
〘名〙 (動詞「けがれる(汚)」の連用形の名詞化)
①けがれていること。きたないこと。不潔。よごれ。〔日葡辞書(1603−04)〕
*いさなとり(1891)〈幸田露伴〉一七
「横鬢の汚ケガれを厭ふ間もなく」
②人の死や出産などの不浄。服喪中であること。また、月経中であること。これらの間は神仏に参ることや人と会うことなどを避ける習慣があった。
*宇津保(970−999頃)俊蔭
「な隠し給ひそ。おうなは早うより、さは見奉れど、さも聞えざりつるなり。〈略〉いつよりか御けがれは止み給ひし」
*とはずがたり(14C前)一
「祖母にて侍し老い人、むなしくなりぬと申程に、近きけかれも過ぐしてこそなど申て」
③悪習にそまること。みにくくなること。不名誉であること。卑劣。名折れ。
*滑稽本・七偏人(1857−63)二
「かやうな鼻持のならぬ女郎が居っては、神免二刀流の武芸のけがれぢゃ」
④人のいやがる不浄な仕事に従事すること。また、その人。
*浄瑠璃・孕常盤(1710頃)露のくつわ虫
「下使の下部けがれの人歩にんぷしたり顔に玉だすき」

精選版 日本国語辞典

やはり自分がケガレを身に着けているのかイマイチわかりません。

思いつくのは

  • 食べ物を頂いている以上、他の生物を殺めていることに同義である
  • 社会生活の中で自分を押し殺し、自分をないがしろにしている
  • 人間の存在したいが地球を破壊している

といったところでしょうか。

自分が今日、夏越の祓えに参加して感じたのは、半年のけじめになったところと、より大局的な視点を持てたところです。

形式に則った儀式に参加することで、区切りをはっきりと感じて、それにより今後の半年間を明確に意識することができました。

もう一つは、神事に参加させていただくといつもそうなのですが、自分は世界の一部でしか無い、という感覚をえます。これは悪い意味ではありません。日常の中で、悩みや気になること、やらなくてはいけないことなどの焦りそういった「自分のこと」で精一杯になってしまいます。しかし、自分以外にも世界があることを意識しないと本当に視野狭窄になり、より深みにはまってしまうことでしょう。そのために、たまに世界は自分よりも広いという感覚を持つことが大事になります。

神事はそのようなきっかけを与えてくれる意味でも重要だと思います。