THINKING LIFE

正確な日常と不正確な非日常:AI時代に生きることとは

こんにちは。しんいちです。

先日「クリスチャン・ボルタンスキー – Lifetime」を見てきました。

彼の展覧会では心臓の鼓動が流れています。そして薄暗い室内の中には、裸電球に照らされた作品が浮かび上がります。

ナチスドイツによるユダヤ人虐殺や、死後の世界などをテーマにした彼の作品。

直接的にはわかりにくいかもしれませんが、様々なことを想起させます。

今回の展覧会に伴って、彼のインタビューがネットに上がっています。その中で、以下のような一文がありました。

アートの美しさは、不正確であるということ。アートは少しの刺激を与えるもので、見た人それぞれがその刺激をもとに必要なものを再構築していく。

正確な日常と不正確な非日常

彼がアートの美しさには、不正確であること、と言いました。

「不正確」という言葉は急に心に引っかかります。魚の小骨が喉に引っかかるように。

いや、もっと滑らかに引っかかります。

日常生活を送り、仕事をしているなかでは「正確」ということばかりが重視されているからです。

例えば、仕事をするときに。

メールを配信するとして、誤字脱字があつてはいけません。失礼な言い回しがあってはいけません。

仕事では正確性が大切にされます。

最重要視されているといっても過言ではありません。

思い返してみれば日常生活の中にも正確であることが普通に偏在しています。

例えばどこかで待ち合わせをするときに、グーグルマップを使わない人はいないのではないでしょうか。カフェに行くとき、旅行に行くとき。

ご飯を作るときも、自分で試行錯誤するよりも、クックパッドで調べて、それから調味料を探したり食材を探したり。

日常の中で間違いを犯すことなく、正確であることが求められています。

しかし、アートの美しさは不正確さによるとされています。

日常の中で感じる自分でなさみたいなものは、この不確実性のなさからきているのでしょうか。

もとより、人生はとてつもなく不確実です。神のみぞ知る、一寸先は光の世界です。

もとより不確実な生命活動に、正確性を求めることから今の歪が現れているのではないでしょうか。

今後はきっとAIの発達で、正確性のある仕事は不要になるでしょう。

まさにこれからこそ、AIの力を借りて、改めて不確実な世界に一歩歩みを進める時なのかもしれません。