THINKING LIFE

2019/11/26:帰国


タイとベトナムで過ごした2ヶ月の日々がついに終わりを迎える。

空港に向かうタクシーの中で、ついにの旅行も終わってしまうんだなぁと少し感傷に浸る。

今回の旅行はタイのバンコクから始まり、プーケット島に移動、そこのビーチで2週間程過ごし1度、タイを離れてベトナムのホーチミンへ。ホーチミンから3泊4日でダナンとホイアンをめぐり、またホーチミンに戻って、今度はタイ北部のチェンマイに向かった。

チェンマイではおよそ3週間ほど過ごした。チェンマイは物価が安く、日本人にも過ごしやすい街、特にノマドワーカーも多い街として有名だったからだ。

実際に行ってみると本当に落ち着きのある良い街だった。そしてチェンマイで3週間過ごした後、バンコクに戻り、そして今日に至る。

リトアニアへの1年の留学が終わる時もそうだったけれど、この旅が終わる感じというのを前にすると、もっといろいろなことやっておけばよかったなと思うことが多い。

しかし、24を前にして色んな国を回ってきたからだろうか。また来ればいいやという気持ちになるようになった。

別にどの国にいるのも自由なので、特に問題ではない。自分が旅をするようになって、観光するというよりも、その土地で毎日同じような日々を淡々と過ごすのが楽しい。

今回自分の旅の中で気づきだったのは、恩師に頂いた言葉で「イメージを定住させて遊牧するか、イメージを遊牧させて定住するかといった」というような言葉があった。

今回の旅で、自由に移動しているだけではダメだなと感じた。自由に移動しているだけでは表層的な感覚があって、何かその文化とかその土地に根差すものに深く関わられた感じがしなかった。

そういう風に思っていた時にこの言葉を思い出した。

軽やかに移動しながらのイメージをそこに定住させるということを考えた時に、松尾芭蕉の奥の細道が思い出された。

彼は軽やかに移動、つまり遊牧しながらその土地に根差した言葉を紡いだ。松尾芭蕉のやったことこそが、イメージを定住させるということだと思う。

松尾芭蕉についての読んでいると、正確には思い出せないが、自然そのものに一致するような詠み方について書いてあったように思う。

自然と一体化するような在り方であるには、パソコンでノマドワークしているような状態では近づけないと思う。というか、そもそもノマドという言葉自体に違和感を感じ始めた。

ノマドが遊牧民という意味であるならば、ノマドワーカーはその場その場所に対して敏感な感性を持ってその土地に根差した、何かをするべきであり、決してどこでも出来るような仕事のことを言っている訳ではないのではないだろうか。

今のノマドワーカーに対して感じていた違和感というのは、移動しているという表層だけがノマドワーカーと言われているからであり、その土地に根差したようなあり方、言葉などがないというのが問題なのではないだろうか。以前宿題として出されたイメージを定住させ、自分が遊牧するかイメージを遊牧させて自分が定住するかという言葉、これはリトアニアに行く前にもらった言葉だが、この言葉の意味がもしかしたら少しずつ掴めてきたのかもしれない。

何にせよネットで調べられることを記事にして書くような仕事の仕方は、ノマドワーク、とは言えないと感じるようになった。

あと、この旅で考えていたのは自分の持ち物についてだ。自分が何を所有しているかということに移動生活をしていると非常に敏感になる。

自分が持っているものに無駄がないかどうかとか。なぜなら荷物の重さは自分の移動を遅くするからだ荷物が多ければ多いほど移動がしにくくなる。

例えば旅行する時に大きなスーツケースを持っていたとしよう。大きなスーツケースを持っていると、まず飛行機預け荷物は出てくるのはしばらく待たなくてはいけない。

そして1度宿に荷物を置きに行かないと観光にもあることができない。しかしリュック一個であればその足で空港から観光地に向かうことができる。それだけでその場所に滞在する時間をどれだけ自由にできるだろうか。

また観光地へ持って歩いたとしても、リュックが非常に重ければ荷物を持って歩くのは大変で肩が凝り、体調にも影響する。旅をする時には健やかであることが大事な条件であり、そして健やかであるためにはなるべく体への負担を少なくすることが大事である。なので、荷物を減らすというのは非常に理にかなった行為だ。別にミニマリストになろうと言っている訳ではないのだが、自分の物が全て小さめのリュックに入るようになればそれが理想だなと改めて思うようになった。

旅をしている時はそのように思えるのだが、日本に定住していると、どうもその感覚を忘れてしまう。

だからこそ移動していきたいと思う。

もうひとつ考え方が変わったのが、お金に対する考え方だ。自分は今まで自分が欲しいものや、自分が欲しい本を買うのにたくさんのお金を使ってばかりだった。しかし、最近は経験のために、もしくは誰かの為に使うようなお金の使い方をしたいと思うようになった。

その場所で感じれる経験だとか、そこに行ったか行かなかったか。何かをお金で諦めるよりは何かを経験したいと思うようになった。

最後に東南アジアを回ってみて当然のことだけれども、日本の方がいいなぁって思うところもあれば、タイの方が全然いいなと思うところもある。

個人的には後者の方が多い。

日本のいいところは衛生面がいいところやサービスが行き届いているところ、また売っている物の品質が良いところなどである。日本は本当に便利な国でしかも店員さんのサービスも手厚くて住みやすい国だろう。

でもタイに来ればタクシードライバーぼったくろうとしてくれるし、店員さんは話しかけるまでスマホをいじっているサービスが良いとはあまり言えないし、トイレットペーパーはトイレに流せずにトイレの横についてるゴミ箱に捨てなければいけないので少し部屋な匂いがしたりする。シャワーからはお湯が出ないくて熱湯か5日しか出ないような宿もたくさんあったりする。

すっかり日本の衛生状況がいいかというのは非常に強く感じることでもあるし、でも日本のサービスとか従業員のルールとかそういうものがあんまりにも厳しいという風にも感じる。

この風土、毎日30度以上を超えるような暑い気温は文化にどのような影響を与えて、人の感覚にどのような影響を与えているのだろうか。ゆるい感じとかはやはり影響があると思う。それにしても、今はもうすぐクリスマスということで、街のいたるところにクリスマスツリーをクリスマスのデコレーションがされている。なおかつショッピングモールに行けばクリスマスの曲が流れているのだが、この30度近い気温で、このイルミネーションとクリスマスのデコレーションを見るのはなんとも違和感がある。そんな雑多な感じもタイなのかもしれない。

先日も書いたけれど、あんまりにも日本食が多いし、日本語の本も売っている。日本人が住むには、これ以上ないぐらいいい環境は整っていると思う。

逆に伊勢丹とかが日本すぎてちょっと居心地が悪い感じたぐらいだ。

今タイから日本に帰るわけだが、またすぐにとは言わなくても、どこかの国に移動したいなと思ってしまう。

今後はさらに、どこか移動していくことになると思う。そのためにはどんどん身軽になっていきたいし、その土地に根差したような言葉を繋げるようになっていければ良いなと思う。