THINKING LIFE

2019/12/01:日曜日のまなび

今日は、朝読み終わった坂口恭平さんの「現実脱出論」と今日の松葉舎の研究会「身体で言葉に触れる」について話すのがいいだろう。

2つの話は一見違うように見えるけれど、深いところでは繋がっている。

(このブログで書いていることは、めっちゃ断片で気になったところしか書いていないので内容に齟齬があるかもしれない。)

今回のテーマは身体から言葉を見直すというものだった。自分たちが使っている日常の言葉にあまりにも実感が伴っていないことを、そしてインターネットでが発展し、ツイッターで容易に情報を拡散できる時代において、1人ひとりが言葉を噛み締めて身体を通して経験をした言葉を、自分の言葉を語ることの重要性についての話だ。

身体のプロフェッショナルのお二人からお話を伺った。最初に主宰の江本さんの方から身体性認知科学と輪読ではなく、輪書というものについての説明があった。細かい説明については割愛するが、輪書というのは他人の文章を自分なりに書き換えるというものだ。ここで面白かったのが登壇者の1人であるダンサーの岩渕さんが、言葉を書き換えるにあたり、「手触り」があるものとして書き換えたことだ。ダンサーだからか、その手触りという身体の感覚を文章に持ち込んだのだ。

また、句読点の位置が変わっていたところも特筆すべきだろう。少しの違いだけでもわかるように、文章にはその人の身体感覚のようなものがびっしり詰まっている。

少なくとも我々は言葉なしに思考することはできないが、しかし他人の言葉に乗っかりすぎても行けない。他人の言葉に乗る、とは、洗脳されるような状態となり、ナチスドイツのホロコーストのような悲惨な出来事も起きてしまう。

つまり我々に必要なのは言葉と、どんなふうに向き合っていくかという、どういう関係性を築いていくかという態度の問題だ。

少なくともインターネットがもたらしたのは情報が入手しやすく、いや、むしろ多大すぎる情報だ。それを乗りこなしている少数と、それにただ飲まれるだけの多数派が分断されている。そして、分断が今の社会にある深い問題についてなにかしら大きな影響を与えている気がする。そういう意味では今自分の言葉について考えるのは非常に大きな意義があるだろう、そしてその言葉を見直すために自分の身体というものを見直そうというのが今回の研究会だ。

身体に関して甲野さんも岩渕さんもいくつかの実践的なワークを通して体と言葉の関係性について実践させ、体感させてくれた。例えば甲野さんは心の中で立つと考えているか、いると考えているのとでは、体の安定感が全く違うという例を示して見せた。実際に筆者も後ろから押されてみたが、いると考えている時は全くブレなかったのに対して、立っていると考えていた時は体が大きく揺れた。

また岩渕さんのワークでは好きなものを考える時と嫌いなものを考えるときで前の人の手を押す時の力が大きく変わるという実験も行った、例えばバナナとバナナが好きな人が、バナナと言いながら押すのと、バナナを嫌いな人がバナナと言いながら押すのとでは全然パワーに違いが出る。

この身体を通った言葉っていうものを考えてみると、少なくとも一つ言えることは人間は頭だけで言葉を受け取っているのではないということだ。

身体を通した言葉というと難しいかもしれないが、解決策としては自分の心の中の思いを言語化する時に、その言語と思いの間にしっかりと目を向け続けることだと思う。これは正直めっちゃ大変だ。

自分の周りに非常に微細な感覚を持たなくては行けない。そして、坂口恭平さんの「現実脱出論」は、感覚に真摯に取り組んだ本だと思う。

「くさい」という一言で済ませてしまえそうなことを、何ページ日も渡って豊かに表現する本書は、吟味された言葉のひとつのお手本かもしれない。