イベントレポート

赤坂氷川神社 花活け教室 「はなのみち」 六季 第11回「鬼の話」【レポート】

1月20日〜2月4日は大寒〜立春の時期。その中でも1月30日〜2月3日は鶏始乳(にわとりはじめてとやにつく)という名前で、鶏が卵を産み始める時期だ。ただこの時期の卵は寒卵(季語)とよばれ、寒中に生み落とされた貴重な卵だという。鶏は夜明けを告げる鳥であり、1年の終わりに新しい歳の始まりを想起させる。

さて今回のテーマは「鬼」。「鬼」とは字統によると人の屍の風化した形。「畏」「異」と同じつくりであり、怒り、慢心など負の側面を「鬼」とみなす。中国では「キ」と発音して、死霊のことを意味するほか、仏教では餓鬼のことを指す。日本の鬼は「大人(おに)」ともいわれ、山に住む人々のことをいったそうだ。彼らは「マレビト」として恵みをもたらす存在でもあった。

2月3日に行われる節分は昔の大晦日にあたり、立春は新年にあたる。立春前に笑いが大事だということで、能楽師和泉流狂言方の奥津健太郎さんと、御子息の奥津健一郎さんをゲストにお招きした。

「はなのみち」としては年12回のうち、2回を生で他のジャンルの芸能を鑑賞して身体でその奥行きと強度を体感するのも「稽古」として大事にしている。

奥津健太郎さんによれば、狂言の鬼は怖いだけでなく、おかしく、わらってしまうようなキャラクターだ。いまの社会では暗闇も少なくなり、鬼を恐れることはなくなってきた。しかし人間にとって暗闇の中で恐れを感じることは、本来重要な機会だという。

狂言は650年以上前の室町時代から続く歴史があり、日本の今に伝わる様々な文化が室町時代に花開いた。能と狂言もこの時代である。650年途切れていないという意味では、この2つの芸能は世界で最も古い演劇の一つといわれているそうだ。

また狂言は「笑いの演劇」とも言われる。人間が力強く生きる様を描いており、庶民がテーマのものがほとんどだそうだ。能と比較されることも多いが、能は笛、小鼓、大鼓、大鼓の囃子があり、うたいながら、舞をまう。狂言は会話で話がすすむ演目が多い。昔から能と狂言を交互に演じるのが慣わしとなっており、車の両輪のような関係性だとか。

ここからは狂言を見る際に重要になる「衣装」(能狂言では「装束」という)について。「装束」は着る人の身分を表すことも重要なポイントだそう。太郎冠者(たろうかじゃ)は家来なので、動きやすい形の装束。身分が高い人は長袴なので動きにくい装束になる。

登場することが最も多い太郎冠者という人物が、一番上に着る装束は肩衣。素材は麻で、今では高級だが、当時は庶民のものだった。途中で見せていただいた狂言袴(はかま)はお2人で作り、白麻地を五倍子染の鉄媒染で黒く染めたとのこと。

また狂言の面は上を向くと間抜けに見えたり、下を向くと怖い顔に見えたりする。向きによってまさに表情を変えていくという。

装束の選び方は季節の植物や花に合わせることも多いそうだ。今回お持ちいただいた扇の中には万作の花の柄も。主人や大名は金色の扇、太郎冠者など庶民の男性の役には箔を張っていないものを使う。銀はお寺のお坊さんに使い、赤の霞が入るのは若い女性などに使用するとか(流派によっても異なる)。実は扇絵を描く職人さんも減っているそうで、今後文化の継承が危ぶまれる。

今回は特別に「清水」という演目を演じていただいた。主人が茶の湯の会を催そうとするが、茶は水が大切。水道もない当時は良い水を手桶でくんでこなくてはいけない。太郎冠者(たろうかじゃ)が主人に水をくんでこいと言われたが、いきたくない。そこで清水に鬼が出たと言って逃げて帰ってくる。主人は本当に鬼が出たのか。確認しに行こうとするわけだが、太郎冠者はばれてはまずいので、鬼の面をつけて脅そうとする。驚かせたついでに、普段の不満を語るが、最後まで主人をだませるのだろうか、、、?

最後にみなさんで参加できる形で「春毎」という新年にうたう謠を奥津さん指導のもとみんなでうたった。また狂言の「笑い」もみんなで体験。現代人はパソコンやスマホの使用などで、呼吸が浅いのが日常だ。声を出して体を使うことで、大きく呼吸して笑い声を上げるエクササイズになる。奥津さんの「春毎」の舞で場が清められ、みんなで笑うことで新年を迎えるのに相応しい会になったのではないだろうか。

奥津健太郎さん・奥津健一郎さんは国内でワークショップなどを行っています。ご興味のある方はぜひ公式サイトもご覧ください。

https://kyogen-okutsu.amebaownd.com/