日々のこと

世界が退屈だと云う前に:『旅好き、もの好き、暮らし好き』著)津田晴美

最近は一週間くらいかけて津田晴美さんの『旅好き、もの好き、暮らし好き』を読んでいました。

 津田晴美さんは日常のささやかな歓びを見つけるのがとてもお上手な人です。

そして今日この本を読み終えました。読み終えてしまうのが少しもったいないような、そんな気持ちで最後のページを捲りました。

あとがきの冒頭の言葉がとても気になりましたのでまずは引用させていただきます。

 最近ますますわからなくなってきた。今、世の中はインテリアブームだと言われる。そしてその仕事に私は関わっているので、もっと盛り上がってもいいはずなのに気持ちはひていく。

 たしかに家具はたくさん輸入されて、雑貨も世界中からいろんなものがやってきて、私達にはたくさんの選択肢があるのだけれど、いつも中身がない。空虚なのだ。ものだけが過剰にある。(中略)

 それは私たちの生活とはあまり関係ないところで勝手に増殖をはじめてしまう。私たちには根本的なところで生活時間が欠けている。

 生活にあまり実感を持てていないということはそれだけ生活を気にしなくても生きているということで、それはある種の豊かさであるとも理解したほうがいいのだろうか?でもそんな物質優位の結論は、私は好きになれない。

ー文庫版「旅好き、もの好き、暮らし好き」あとがき(p204)

 この言葉はインテリアだけについてでしょうか?僕はそうは思えませんでした。

ものだけが過剰にある:空虚さ

一時期断捨離やミニマリズムが流行しました。(今も流行っているのかな?)。私にとってものを減らすのは日常となりました。

ものが少ないほうが快適なのです。

例えば、自分はいま同じ服しかもっていません。
同じ柄のシャツ、ズボン、靴下。全部同じデザインです。それでも困りません。むしろ気楽になりました。

服のコーディネートで悩むことがなくなったからです。

ものだけが過剰にあるという感覚はあります。
それだけではありません。いまや情報さえも過剰です。

そして重要だと思って入手している情報の数々さえも、じつは意味がなかったりします。

どれだけのものが重要なのでしょうか。

先日、情報の断捨離をしていました。

Twitterやフェイスブック、メールをみないようにするチャレンジだったのですが、とても心が軽くなり、落ち着きを取り戻せました。詳しくはこちらを御覧ください。

生活時間が欠けている:

ここでいう生活時間とは「丁寧な生活」だと考えています。

料理をする、服を洗濯する、アイロンをかける、掃除機をかける、、、、

すべての生活に必要な行為を大切にすることだと思います。

最近実家を出て暮らしています。

そうすると、今まで家族がやってきた家事をすべてやることになりました。
そして、家を綺麗に保つことの難しさを学びました。

しかし大変な一方、「生活をしている」という実感ができました。

掃除や料理って生活に必須な行為ですよね。
家が綺麗だと嬉しい、料理が美味しくできると嬉しい。

じぶんの手を動かすということでしょうか。
坂口恭平さんは「手首から先を動かす」という言い方をしています。

今日は部屋に梅の花を飾りました。
ほのかに香る梅の匂い。

それは厳しい冬と、待ちわびた春を思い起こさせました。

「季節ごとの移り変わりを少しづつ楽しみながら家をかざってゆくことがあなた自身の家をつくるということなのだ」

これも本書からの言葉ですが、この言葉の意味が少しわかりました。

丁寧に生活のことを行う。そうすると家がきれいになり、生活が整います。そこをないがしろにすると急に人生が辛くなる。

自分の具合が悪い時はだいたいものの管理ができていません。

だから「生活時間」を大事にしてください。

花に水を上げてください。万年筆のインクを洗い流して下さい。ランプを磨いてください。そうすると「生活時間」がゆたかになります。

ものを買っても生活は豊かになるばかりではありません。

時にはものがあなたを苦しめることもあるということを、膨大な情報が、ものが。

物質主義の結論:精神主義を見直す:デカルト

物質主義に対して「精神主義」という言葉を思いつきました。

物質よりも日常の精神性の豊かさに注目しよう、と。

しかし困ったことにデカルトが出てきてしまいました。

デカルト的に疑い、疑い尽くして精神と物質を切り離して考えているように感じたからです。

そうすると、物質主義も精神主義もないですね。

ものが悪いわけではありません。むしろ生活をラクにしてくれるでしょう。
生活をラクにしてくれた上で、僕らがなにをするかでしょう。

なんというか、ロボット掃除機に掃除を任せて、スープをじっくり煮込んでもいいかもしれません。スーパーで売っているスープのもとを使わずに、鶏の骨を煮てみる。

結局は衣食住という3つが基本です。

そこを丁寧に、丁寧にしていきたいです。
民藝が「健やかな生活」から「健やかな美」が生まれると言いました。

いまは「不健康な美」が多すぎる。
いや、不健康な美はもはや美なのでしょうか。

一度足元を見直して、「生活時間」を豊かにしたい。そう思います。

世界が退屈だと云う前に

毎日が単調でつまらない。自分も前まではそう思っていた時期もありました。

でも日常のことを丁寧にやっていると、日常は楽しいです。

花は咲きます。時計の針は進みます。描いた絵のインクは乾きます。

世界はちゃんと進んでいます。

花をいけて、翌日になると、器の中の水が減っていることがわかります。

花が、植物がゆっくりと、でもしっかりと生きているのです。

花には花の時間があり、それに僕らは気づいていないだけです。

空を飛ぶ鳥から見たら、地面をあるくアリは動いていないようにすら見えるかもしれません。でも、アリも動いている。

じっくりと目を凝らし、生活のことをちゃんとする。
そうすれば、世界はとても豊かです。

世界が退屈だと言う前に、丁寧に生活を送ってみる。
そうすれば少し世界が華やぐかもしれません。